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「できれば15時までに病院へ」緊急入院をスムーズにするために知ってほしいこと

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今日も急変あり、外来も悩ましい症例もあり、忙しい日でした。外来患者数だけ見ればそんなに忙しいはずはないのに、このくたびれ感はどこから!?(あなたの風邪はどこから?的な)余談ですが、そう言えば、テレビ線がなくなって数年…。テレビコマーシャルを見なくなったので、新しいネタが入ってきません。 緊急入院は、救急車を呼べば終わりではありません。 「入院が必要なら、すぐ救急車を呼べばいいのではないですか」 患者さんやご家族からすると、そう思われるのは自然なことかもしれません。 具合が悪い。家では見られない。先生も入院が必要だと言っている。それなら、救急車を呼んで病院へ行けばよい。まー、表面だけを見ると、非常に単純な話に見えます。 しかーし、実際の緊急入院は、それほど単純ではありません。 実は、医師は、患者さんの前で診察をしながら、緊急性と重症度を考え、疑われる病気を考え、もともとの生活状態と今の状態を比較しています。そのうえで、どの病院にお願いするのがよいのか、どの方法で移動するのが安全なのか、何時までに到着すれば必要な検査を受けられるのかを同時に考えています。 今回は、クリニックから緊急入院をお願いするときに、私たちが何を考えているのかを書いてみたいと思います。 まず考えるのは「緊急性」と「重症度」です 患者さんを診たとき、まず考えるのは緊急性と重症度です。当然です。 次に、どのような病気が起きている可能性があるのかを考えます。そして、それと同じくらい大切なのが、もともとのADL、つまり普段どの程度動けていたのかという情報です。 例えば、同じ肺炎でも、普段どおり歩けて、食事が取れて、酸素の値も保たれている人であれば、外来治療ができる場合があります。一方で、熱はそれほど高くなくても、立ち上がれない、食事が取れない、トイレに行けない、家族だけでは介助できないという状態であれば、自宅に帰ることが難しくなります。 つまり、病名だけで入院を決めているわけではありません。病気の重さと、その人が生活を続けられるかどうかを一緒に考えています。 肺炎ではA-DROPという重症度判定の目安があります。心不全では、酸素化が保たれているか、呼吸苦が強くないか、動悸や息切れによって日常生活ができなくなっていないか、といった点を見ます。 ただし、どの病気でも、点数だけで決められるわけではありません。 検...

地域医療構想ガイドラインを読んで ― 現場の医師が感じた期待と現実

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厚生労働省が示している 「地域医療構想ガイドライン」 を読みましたー。計81ページ…。勿論関係あるところだけです!全部読んでいません!前回のブログは、そのガイドラインを作った厚生労働省の医療技官の講演をベースにしています。今回のブログはガイドラインそのものについてです。内容が一緒なので被るところもありますが、ご容赦ください。 「地域医療構想ガイドラインでは、2040年に向けて、高齢者の救急搬送の増加や複数の慢性疾患を抱える患者の増加を見据え、急性期から回復期、在宅医療まで切れ目のない医療提供体制を構築することが求められています。」 最初に結論を言うと、私は 方向性には賛成 です。 少子高齢化が進み、医療や介護を取り巻く環境が大きく変わっていくことは間違いありません。地域全体で支え合う医療へ移行しようという考え方も、その方向性自体は正しいと思っています。 ただ、現場で日々診療をしている立場から読むと、少し気になることがありました。 率直に言えば、 「現場のリソースを少し(かなり?)楽観視しているのではないか。」 そんな印象を受けました。ということで、私の評価を100点満点で表現すると、ガイドラインの方向性:80点、実現可能性:40点というのが正直な感想です。 現場は「やりたくない」のではなく「できない」 地域医療構想では、在宅医療の充実、高齢者救急への対応、地域連携の強化、オンライン診療、医療DXなど、多くの取り組みが示されています。どれも必要なことです。 問題は、 「誰がやるのか」 という部分です。医師不足だけではありません。看護師も足りません。介護職も足りません。ヘルパーはさらに深刻です。数年前までは「ケアマネジャーが見つからない」と言われていましたが、最近では「ヘルパーが見つからない」という話を聞くことが圧倒的に増えました。 制度はあります。でも、その制度を動かす人がいません。この状況は、行政資料だけではなかなか伝わりません。昔々、国民保険 ガイドラインの記載内容と現実的な状況を見てみましょう 「医療機関、介護事業者、行政など、多職種・多機関が連携し、地域全体で医療と介護を支える体制づくりが必要とされています。」  問題は、『連携しましょう』ということではなく、『連携する人材が足りない』ことです。 「医育機能については、大学病院などが中心となり、地域医療...

2040年の地域医療はどう変わるのか ― 新たな地域医療構想から見えてきた、これからの医療機関に求められる役割 ―

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 「2040年の地域医療はどう変わるのか。」 厚生労働省が示した「新たな地域医療構想」 は、単なる制度改正ではありません。人口減少、高齢化、人手不足、DX・AIの普及など、社会そのものが大きく変化する中で、日本の医療をどう維持していくかという国家レベルの方向性です。 この地域医療構想の作成に関わった厚生労働省医務技監の講演の記事がm3に乗っていました。特に印象的だったのは、「医療者の考え方そのものが、改革の成否を左右する」という視点でした。 これまで医療政策は「病床をどうするか」「診療報酬をどうするか」といった制度設計が中心でした。しかし今回は、「医療者や患者のマインドセット」まで踏み込んで議論されています。制度だけではなく、人の考え方まで変えなければ2040年の医療は維持できない。そのような強いメッセージでしたが…。 今回のブログは地域医療構想を読んで大きな雑感について、です。細かいツッコミは次のブログかな? 「高齢者が増える時代」は終わらず、「働く人が減る時代」が始まる これまで日本の医療は、高齢者の増加に対応することが最大の課題でした。しかし2025年以降は状況が徐々に変わります。本当の問題は、高齢者が増えることではありません。医療や介護を支える「働く人」が急速に減少していくことです。 つまり、「患者が増える」ではなく、「支える人がいなくなる」ことが最大の課題になります。限られた人数で、より多くの患者さんを支えられる体制づくりが必要になります。 そのためには、厚生労働省の言う通りDX、AI、ICT、業務効率化が重要になります。ただし、重要なのは「何でもAI化すること」ではありません。AIやDXは、人がやらなくてもよい仕事を減らすための道具です。例えば、情報整理、書類作成、データ入力、スケジュール管理などは積極的に効率化できます。 一方で、患者さんの言葉を整理し、本当の困りごとを言語化すること。人生の優先順位を一緒に考えること。悲しみや不安に寄り添うこと。こうした共感を必要とする仕事は、人だからこそ担える役割です。 AIは優秀なアシスタントにはなれても、「一緒に悩む仲間」にはなれません。これからは、人にしかできない仕事へ医療者の時間を集中させることが重要になると考えています。 外来中心の医療から、地域全体を支える医療へ 2040年に向けて最も変化するのは...

「死と共に生きることを学ぶ 死すべき者たちの哲学」を読んで

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尊敬する在宅医療の先輩医師鐘ヶ江先生から勧められたことが、この本を手に取ったきっかけでした。 死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学 第2版 竹之内 裕文 (著)  本書を読み始めてまず感じたのは、普段私たちが接している医学書や論文とはかなり異なる本だということです。 医療の世界では、統計学や疫学を用いて効果や程度を評価し、その結果を積み上げながら知識体系を構築していきます。私自身も理系的な思考に慣れているため、「どれくらい効果があるのか」「何%改善するのか」といった視点で物事を考えることが少なくありません。 一方、本書はそうした本ではありません。ただし、だからといって根拠のない随想集というわけでもありません。 著者はさまざまな哲学者や思想家、実践者たちの考えに触れながら、自らの思考を深めていきます。統計解析はありませんが、先人たちの思考の上に新たな思考を積み重ねていくという意味では、ある種の質的研究に近い側面もあるように感じました。 本書から学べるのは「効果」や「程度」ではありません。「そういう考え方もあるのか」「そんな死生観もあるのか」「人はそういうふうに生きることもできるのか」そうした思考の多様性です。 医療者は正解を探す訓練を受けています。しかし本書は、正解を提示するのではなく、問いを増やしてくる本でした。 老人ホームは本当に「ホーム」なのか? その中で最も印象に残ったのは、「施設」と「ホーム」の違いについての視点です。施設では、どうしてもサービス提供者が主体になりやすくなります。安全性、効率性、リスク管理を考えれば当然です。 しかしホームでは、本来はそこに住む人が主体になります。医療や介護は、その人の人生を支えるための存在であって、人生の主役ではありません。 この視点は、在宅医療を行う中で私自身が感じていた違和感を言語化してくれました。医療や介護のサービスが十分整っていても、どこか病院の延長線上のように感じる場所があります。一方で、必ずしも完璧な環境ではなくても、その人らしい生活が営まれている場所があります。 その違いは設備や人員配置だけではなく、「誰が主体なのか」という問いにあるのかもしれません。 精神科病床から地域へを受けて また、この視点は精神医療にも通じるものを感じました。近年、精神科病院から地域へという流れが続いています。私は...

施設看護師と訪問看護師は「対立」するものなのか? 在宅医療の現場で感じる役割の違い

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施設看護師と訪問看護師、「見ている景色」が少し違う はーい、今回は施設看護師さんと訪問看護師さんの話ですね。在宅医療をやっていると、やっぱりこの2つの立場って、ちょっと見てるものが違うなあと感じることがあります。 もちろん、どっちが正しいとか間違ってるとかではないんですよ。役割が違うので、優先順位が変わるんですね。 例えば、施設看護師さんって、ある意味「全体最適」を見ています。 施設全体が安全に回るか。 他の利用者さんとの兼ね合いはどうか。 夜勤体制で回るのか。 職員配置はどうか。 そういう、“システム全体”を見る視点が強い印象があります。 一方で、訪問看護師さんは、比較的「局所最適」に近いです。 この患者さんにとってベストは何か。今この人に必要なケアは何か。 そこをかなり深く見ていく。 なので、両方とも患者さんを見ているんですが、見ている角度が違うんですね。で、その違いが時々、「なんかズレてるな」に見える。 でも、個人的には、そのズレを責めるより、「どこに落とし所を作るか」を考えた方が、結局みんなハッピーなんじゃないかなと思っています。 連携がうまいチームは、「否定」から入らない 現場を見ていて、「この訪問看護ステーションさん、連携うまいな」と感じるところってあります。そういうところは、ブラッシュアップは求めるんですけど、頭ごなしに否定しないんですね。 「あんたたちの看護、何なの?」みたいな言い方は、まずしない。入院でもありますよね?「このケアで褥瘡できたんじゃない?」みたいな感じ。まー、当然と言えば当然なんですが、でも忙しい現場だと、つい感情が先に出ることもあります。 ただ、結局それって、相手のモチベーションを削るんですよね。で、モチベーションが削られると、患者さんに返っていく。 だから、うまいチームって、「患者さんとのコミュニケーション」だけじゃなくて、「チームとして最大限アウトプットを出すためのコミュニケーション」を考えてる感じがあります。 ここ、かなり大事だと思っています。 施設側から見えにくい訪問看護 施設看護師さん側が、もう少し訪問看護を柔軟に使ってもいいのかな、と思うことはあります。もちろん介護保険や制度上の制約はあります。 でも、「このケア、そちらでできませんか?」「ここ、少し協力できませんか?」みたいな相談は、もっとしてもいい気がしています。 訪...

なぜ今、医学生も在宅医療を学ぶ時代なのか。佐賀大学での講義を通して

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佐賀大学で在宅医療の講義をしてきました 先日、佐賀大学で在宅医療についての講義をしてきました。対象は医学部4年生の学生さんたちです。去年は5年生向けだったんですね。なので、ある程度病棟実習を経験していて、「臨床ってこういう感じか」というイメージがあった状態でした。ただ、今回は4年生です。まだ病棟実習もこれから、という学生さんも多くて。そもそも「臨床って何?」みたいなところからスタートだったと思います。 なので今回は、「在宅医療とは何か」を説明するというより、まずは“イメージを持ってもらう”ことをかなり重視しました。 AI時代だからこそ、「リアリティ」重視 今って、AIもありますし、PDFや教科書があれば、ある程度の知識は解説してくれる時代なんですよね。だから逆に、「現場の空気感」とか、「実際どう困るのか」とか、「何が教科書通りにいかないのか」みたいな部分は、人間が伝える意味がまだ大きいと思っています。 なので講義でも、できるだけ具体例を入れました。 例えば、「在宅でエコーを使う時って、病院みたいに綺麗にはいかないですよ」という話。 病院の検査と、在宅の検査は違う 講義の途中で、学生さんから「在宅ではどんな検査ができますか?」という質問がありました。これは結構反応が良かったですね。 在宅でも採血やエコーなど、ある程度の検査はできます。ただ、病院みたいに“条件が整っている検査”ではないんですよね。 例えば、ベッドの高さが合わない、患者さんが息止めできない、難聴で指示が聞こえない、痛みで体位変換できないみたいなことは普通にあります。教科書だと「息を止めてください」で終わるんですけど、現場だとそうはいかない。 そういう、“リアルなズレ”を感じてもらえたのかなと思っています。 在宅医療は、「終末期医療」だけではない たぶん、学生さんもそうですし、地域の方もそうなんですけど。在宅医療って、「がんの終末期」「家で看取る医療」というイメージが強いと思うんですね。テレビの在宅医療はそんな話も多いですからね。もちろんそれもあります。 ただ、実際には慢性疾患の管理がかなり多いです。 高血圧、糖尿病、認知症、心不全、脳梗塞後、パーキンソン病、COPDなどなど。むしろ、“長く付き合う医療”という側面の方が強いかもしれません。なので、「通院が大変になってきた」「タクシー代がかなり負担」「家族の...

“薬を出すだけのクリニック”は本当に必要なくなるのか?

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  今の町医者モデル、20年後はかなり消えていると思います。 AI診断の精度が上がり、薬が配送され、軽症外来の多くがオンラインで済むようになれば、今みたいに“近所で薬を出すだけ”のクリニックはかなり要らなくなる。 残るのは在宅、重症、専門性、地域中核との接続を持つところだけです。… — 中田賢一郎/さくらライフグループ代表/医師x僧侶x経営者/ (@n_kata) May 3, 2026 最近、こんな内容の投稿を見かけました。 「AI診断が進み、薬が配送される時代になれば、“近所で薬を出すだけ”のクリニックはかなり減る」 まー、これは正直、かなり本質を突いていると思います。中田先生は先見性のある投稿が多いですよね。時々トゲがありますが…。 実際、医療の世界でもオンライン診療は広がっていますし、AIによる診断補助も急速に進歩しています。軽い風邪や花粉症くらいなら、「病院に行かずに済む」方向へ進むのは、おそらく自然な流れなんでしょう。 ただ、その一方で。じゃあ本当に、近所のクリニックはいらなくなるのか?というと、個人的には少し違う気もしています。 当然「薬だけください」という受診はある 高血圧のお薬。いつもの胃薬。湿布。花粉症。 もちろん、それ自体を否定するつもりはありません。ただ、個人的には「薬を出して終わり」という感覚では診療していないんですね。 例えば今日の外来でも、高血圧で通院されている患者さんに、がん検診の話をしました。本来、高血圧の診察と、がん検診は直接関係ありません。ある意味、余計なお世話かもしれない。でも、「何を受けた方がいいんですか?」という質問があれば、やっぱり答えます。 骨粗しょう症。ワクチン。体力低下。ダイエット。遠方に住む家族の介護相談。 こういう話、実はかなり多いです。 なので、「かかりつけ医」というより、“健康の相談窓口”に近いのかもしれません。 AIでは難しい領域は、まだかなり残っているし、数字では説明できない「なんかおかしい」もある AI診断って、これからもっと伸びると思います。実際、かなり優秀です。ただですね。現場をやっていると、「データ化しにくい違和感」って結構あります。 例えば。 検査も問題ない。見た目もそこまで悪くない。でも、なんか重症感がある。「あれ、ちょっと変だな」と思って採血すると、肝機能がものすごく悪かった、みた...

忙しいからこそ必要です|在宅・施設看護師に伝えたいフィジカルアセスメントの本質

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施設の患者さんが「なんとなく変だな」って思ったこと、ありますよね。バイタルはそこまで悪くない。でも、なんか違う。で、電話するじゃないですか。クリニックや病院に。あ、入院中の患者さんでもありえますよね。主治医に電話する。 そしたら、「呼吸数は?」「食事量は?」「その所見どうですか?」って聞かれて。あー、そこ見てなかったな…って。で、もう一回確認して、また電話して。あれ、これ一回で終わったんじゃない?って。 こういうの、現場ではわりと普通に起きてますよね。 そんなときのフィジカルアセスメント 入院とは違って、在宅とか施設って、検査がすぐできないんですよね。だから、頼れるのは「問診」と「フィジカルアセスメント」。 ただ実際には、 忙しくて一部しか見れていない 思い込みで必要な所見を取り逃している 情報が足りず、医師とのやり取りが増える こういう状態、結構あると思います。忙しい現場ほど、系統立てたアセスメントが崩れやすいんですよね。 フィジカルアセスメントと情報共有の難しさ 施設で「なんかおかしい」と思って連絡したケース。でも、必要な情報が揃っていなくて、結局やり取りが長引く。 あるいは、在宅クリニックの看護師さんがドクターに報告したときに、「それで、呼吸数は?」「浮腫は?」って聞かれて、「あ、そこ取れてませんでした」みたいなこと。 これ、誰でも一度は経験あると思うんですよね。 あともう一つ。バイタルは正常だけど、なんか違和感があるケース。高齢者だと特にそうで、「異常だけどいつも通り」なのか、「いつもと違う異常」なのか、この判断が難しい。 ここが、フィジカルアセスメントの本質的に難しいところだと思っています。 スクフィジしようぜ すぐ略するの止めたほうが良いですよ。高校生じゃあるまいしと言われそう。ですが、じゃあ何が大事かというと、結論はシンプルで。 フィジカルアセスメントは「スクリーニング」として使う、です。 つまり、 まずは一通り、抜けなく見る 引っかかったところを深掘りする 重症度を判断する この流れ。 若い頃って、どうしても「異常を当てにいく」んですよね。でも実際は逆で、「異常はない前提で全部見る」ほうが精度は上がる。 これを教えてくれたのは好生館の某F先生。口頭で教えてもらったわけではないんですが、診察についていくと必ず全身診察してるんですよ。もう20年も前なのに...

家で治すという選択肢:入院関連障害とHospital at Homeを知る

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「入院させた方が安心ですよね」って、かなり自然な感覚だと思うんですよね。在宅医療を経験してみると、この感覚に多様性が生まれるんですよ。自分も入院という環境しかしらなかったし、在宅医療での治療成績も分からなかった。 僕ら医療者でも、ふとそう思う瞬間ありますし。家族としてだったら、なおさらだと思います。 ただ一方で、こういう違和感もあって。「入院したら元気がなくなった気がする」っていう話、聞いたことないでしょうか? じゃあこれ、どっちが正しいのか。そもそも「家で治す」って現実的な選択肢なのか。今回はそのあたり、現場ベースで少し書いてみます。 入院関連障害=入院による悪影響 実際の現場で起きていることをシンプルに言うと、 不安になると入院を選ぶ でも入院すると動かなくなる 結果として弱って帰ってくる この流れ、かなり多いです。 特に高齢の方だと、75歳を超えるとかなりの割合で、80歳を超えると半分近くの方で、入院をきっかけにADLが落ちると言われています。半分近くだからかなり多いってより、入院すると弱るって考えてたほうが良いかと思います。 つまり、「安全のための入院」が、別のリスクを生んでいる構造があるんですね。 ちゃんと英語の論文もございます。分かりやすそうなのが→Kenneth E at el. Hospitalization-associated disability: JAMA. 306(16):1782-93.2011ですね。 「助かる人はどこでも助かるし、難しい人はどこでも難しい」 これはかなり率直な話になりますが。急性期病院で働いていたときの感覚として、高齢者の急性疾患については「助かる人はどこでも助かるし、難しい人はどこでも難しい」というのが、一定数あります。 医者として、役にたってないんかい!と自らツッコみたくなりますが。まあ対症療法、きつさはだいたい取れます。でも、予後については、もちろん極端な言い方なんですけど。 例えば、一度は回復したけど食事が取れず、数ヶ月で亡くなるケース。あるいは、寝たきりに近くなって帰ってくるケース。 これは珍しくないです。と言うよりギリギリで連れ込まれた患者さんの7割はこれ。1~2割が元気で何も変わらず帰れる。1~2割がそのまま亡くなる。 あともう一つ大きいのが、家族の不安です。 本来は在宅で対応できたかもしれないケースでも...

なぜ今、地域医療に“マルチプレイヤー型の総合診療医”が必要なのか

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先日、総合診療医が馬鹿にされていたんです(またもXで)… 。ま~よくある話でありますが、今回のテーマは総合診療医です! 自分は総合診療医は否定的なイメージはなくて(そりゃ認知バイアスやろ!)。逆に地域医療って、ものすごく マルチプレイヤー向きの環境 になってきているな、と思ってるんですよね~! マルチプレイヤー医といえば総合診療医! 総合診療医の話をするとき、「(浅く…涙)幅広く診る医者」という説明をされることが多いんですが、正直それだけでは本質を表していないと思っています。 むしろ本質は、 バラバラのものを統合する仕事 なんじゃね?と考察して考えてたところです。 地域医療の患者の多くは「高齢者」 まず前提として、今の地域医療は人口構造が完全に変わっています。日本では、だいたい 3人に1人が高齢者 です。小児や働き盛りの成人は、当然そこまで病気になりませんよね。つまり、医療の大部分を使っているのは高齢者です。 そして高齢者医療の特徴はシンプルです。 問題が1つではない(シンプルではないじゃんか~!)。 高血圧 糖尿病 心不全 認知症 骨粗鬆症 廃用症候群 こういう問題が同時に存在します。つまり、地域医療では 「単一疾患を治す医療」よりも「複数問題を整理する医療」 のほうが重要になってくるわけです。ここで初めて、総合診療医の役割が見えてきます。 専門医が作るのは「局所最適」 誤解してほしくないのですが、専門医の診療はとてもとーーーても、めちゃくちゃ重要です。 例えば 循環器医は心臓を最善の状態にする 糖尿病医は血糖を最善にする 整形外科医は骨や関節を治す それぞれの専門領域では、ベストの判断をしています。 ただ問題が起きることもあります。 それぞれがベストでも、全体がベストとは限らない。 高齢者医療ではよくこういうことが起こります。 気づいたら薬が10種類以上になっている 病院をいくつも受診している 家族も何が起きているか分からない いわゆるポリファーマシーや、医療の分断です。これは誰かが悪いわけではありません。単純に 全体を設計する役割が不在 なんです。ここで総合診療医の価値が出てきます。 総合診療医は「バランスを取る仕事」 総合診療医がやっていることって、それぞれの治療を ゼロにするわけではない 。でも 全部...

もやる DNAR

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  医者に質問😇😇 拡散よろしく😇😇 要介護4の90歳女性が誤嚥性肺炎で入院した。家族との話し合いで心肺停止時は蘇生を行わないことになった。入院後の治療経過は良好であった。入院7日目に病室で患者が心停止しているのを看護師が発見した。看護師は蘇生処置を行うべき? — にゃんでもにゃ医 (@lE9BrvyUwLLVZIE) February 25, 2026 最近また、XでDNAR論争が起きていましたね。 DNAR:Do Not Attempt Resuscitation 心肺蘇生を試みない、という意味です。言葉だけを見ると、すごくシンプルです。でも実際は、結構複雑なんですよね。 上記の状況で、蘇生をするのか、しないのか。 これ、良い問いなんですよね。これだけ議論が起きるということは、みんな引っかかっている。つまり、軸が揺れているということです。 私は在宅医療を中心にやっています。急性期病院は紹介元であり、バックアップ面でも支えてくださる存在です。だからこそ、ACP、DNARは常に考え続けているテーマです。 訪問診療の開始時、私は必ず確認します。 「あらゆる疾患に対して、心停止時に蘇生を希望されますか?」と。 あらゆる疾患、です。 高齢者は急変が起きる可能性が高い病態です。脳卒中かもしれない。窒息かもしれない。心筋梗塞かもしれない。ちょっと乱暴な議論かもしれませんが、実際高齢者(心不全、腎不全)の患者さんの突然死は若い人の突然死より多く発生します。かつ、生命体としての余力が少ないため蘇生後の回復力があまりありません。 「全部やってほしい」と言われる方もいます。 「もう年齢と体力を考えて、人工呼吸器も含めてしないでほしい」と言われる方もいます。 ここでワンポイント! 蘇生は、多くの場合、延命医療の入り口になります。心停止の方を蘇生すれば、気管挿管、人工呼吸器管理、ICU管理へ進む可能性が高い。一般的にイメージされる「ちょっと胸を押す」だけでは終わらないことが多い。 延命治療を含めた蘇生を試みる。 これが意外と共有されていません。 この世にザオリクなんてない。あってザオラル。ほぼパルプンテ。 蘇生率の話もあります。 以前調べた資料では、若年で高度救急医療体制の整った大学病院での蘇生成功率は約50%程度(ザオラル)。一方、施...

せっかくいそにアジ取りにいったのに、リーファンとピラニアがSMしててエブッ!

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意味のわからないタイトルではありますが、医者には分かるはずです。国家試験大変でした。今日のテーマは結核です! 臨床をしているとですね、結核ってですね、本当に忘れた頃に来るんですよ。そして、肺結核だけではないですからね。完全に油断していた、とは言わないまでも、少なくとも自分の診療のど真ん中にある疾患、という感覚ではないんです。 先日、佐賀での結核の講演会に参加しました。登壇されていたのは、東佐賀病院の柴田先生、好生館、佐賀大学の先生方。内容は非常に整理されていて、呼吸器専門医の視点からの実践的な話でした。ただ、聞き終わったあとに知識も残りましたが、ちょっともやっとした少し居心地の悪い感覚でした。 ああ、これは終わっていないな、と。アンテナ立てとく必要があるな~と。 佐賀県のデータでは、若年結核患者の10.4%が外国人とのことでした。国籍はフィリピン、中国、ベトナム、ネパール、インドネシア、ミャンマーなど。数字としては10%。 高齢者施設には、若い外国人スタッフが普通に働いています。そしてその先には、免疫力の落ちた高齢者が集団で生活している。この構図、医学的に見れば、リスクがゼロとはとても言えません。 ここは誤解されたくないのですが、差別の話ではありません。疫学の話です。若年層で一定の罹患割合がある、空気感染する、高齢者は発症しやすい。この条件がそろっている以上、「可能性がある」という前提で考えるのが医療者としては自然だと思っています。 ではどうするのか。 私は、ここは制度で解決するしかないと思っています。雇用時の胸部レントゲンは必須にする。さらに、若年外国人労働者にはIGRA、たとえばクオンティフェロン検査やT-SPOT.TB検査を導入検討する。ちなみに入国時の健康診断はあるようですが、結構見逃されてそうとのこと。 レントゲンは一回です。IGRAも採血を追加するだけ。コストはゼロではないですが、アウトブレイク後の対応、接触者健診、風評被害まで含めたコストと比較すれば、十分に検討に値すると思いますね。個人の注意力に任せるより、最初から仕組みにしてしまう方が公平です。 一方で、高齢者については、正直、迷いがあります。 結核の症状は咳、痰、2週間以上続く咳は要注意。教科書的にはそうです。でも現場はそんなに単純ではない。食欲が落ちた、なんとなく元気がない、体重が減ってきた。肺...

たびょうをたべよう!

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たびょうって…何!? 食べれるの?食べれません!今回のテーマは「たびょう」って多病です。 グルメ特集ではなくすみません! マルチプロブレム(マルプ)症例って「病気が多いこと」!…ではない 一般に「マルチプロブレム」と聞くと、「高血圧も糖尿病も心臓病もある人」というイメージを持たれるかもしれません。しかし、病名がいくつ並ぶかは本質ではありません。 本当に問題が表面化するのは、「治療同士がぶつかるとき」です。 例えば、心不全(心臓のポンプ機能が弱る病気)がある人に対しては、体の余分な水分を抜く薬(利尿薬)を使います。しかし利尿薬を増やすと腎臓に負担がかかります。腎臓の働き(腎機能)が悪い人では、薬を増やせば心臓は楽になるかもしれませんが、腎臓がさらに悪化する可能性があります。 このとき医師は「どちらを優先するのか」という判断を迫られます。 糖尿病でも同様です。血糖値を厳しく下げれば合併症予防には有利です。しかし高齢者では低血糖(血糖が下がりすぎること)が転倒や意識障害につながる危険があります。 つまり、治療が「足し算」ではなく「バランス調整」になります。 この“綱渡り”が始まったとき、マルチプロブレム症例だねぇと認識します。 ちなみに良い臨床医って、このバランス調整が上手な人だと思っています。抗がん剤の量やタイミングの調整をするとかですね。 マルプは医学的問題だけではないっ! 「医学的問題が2割」って感覚を共有できるDrは少ない。というのは医学的問題を軽視しているわけではありません。むしろ医学的問題は重要です。ただし、医学的問題にはある程度の枠組みがあります。 医学には研究データがあります。 ・この治療で延命効果はどの程度か ・副作用の発生率はどれくらいか ・この病気の5年生存率はどれくらいか 完全ではありませんが、一定の見通しがあります。医療者はその範囲の中で判断できます。 一方、家族や社会的な問題は、数値化できませーん。 ・介護する娘さんが仕事を辞めるかどうか ・兄弟間の意見対立がどこまで深刻か ・経済的余裕がどれくらい持続するか ・「延命は望まない」と言った本人の言葉がどこまで揺らがないか これらには統計的な答えはありません。しかも時間とともに変化します。だから難しいのです。これは人にとっては面倒に感じると思いますし、医師の仕事!とは言い切れないところもありますよ...

体力の限界と透析――あるケースカンファから考えたこと|佐賀市で透析終末期を支えるということ

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2026/02/12 院内ケースカンファを開催しました。 テーマは、体力の限界が近づいた透析患者さんの終末期支援です。 年齢や背景は伏せます。ただ、「老衰の要素が強まりつつある透析終末期」という状況でした。 「透析やめたら1週間で亡くなるっていう感覚、あるよね。」 透析医療には独特の時間軸があります。抗がん剤をやめてもすぐに亡くなるとは限らない。しかし透析は違う。止めれば短期間で命に直結する可能性が高い。 この“時間の圧力”が、意思決定を難しくしている気がします。 ■ 透析終末期の構造的な難しさ 透析終末期(透析 終末期)は、単なる治療継続の問題ではありません。 ・移動の負担 ・血圧低下 ・除水と栄養状態のバランス ・胸水や感染症 ・そして家族の葛藤 会議ではこういうやりとりがありました。 「透析はするけど、見た目上してるだけで、ほとんど引けてない状態だよね。」 「食事入らないから血圧どんどん下がる。引っ張るものがない。」 医療的には“できる”。でも身体は“ついていけない”。ここに、透析終末期の本質があります。 ■ “できる医療”をやめられない文化 日本の医療文化には、「できる医療はやめない」という空気があります。 やめる=手を抜く、やめる=見捨てる そう感じてしまう。しかし本当にそうでしょうか。透析を続けることが、その人のトータルのハッピーさにつながっているのか。移動の負担、通院調整、介護タクシー手配、家族の疲労。 「なんでこんなギリギリまで透析を続けるんだろうって思った。」 会議では、こんな率直な声も出ました。批判したいわけではありません。構造がそうさせるのです。透析は“止めた瞬間”が明確すぎる。だからこそ本人も家族も気持ちは揺れる。 ■ 意思決定は、直線ではない 「最初はやめたい2割、行きたい8割。最後は逆転した。」 意思決定は一回で終わりません。毎回揺れます。 「今日は行く。でも追加は行かない。」「やめたいけど、家族が心配するから。」 在宅医療の現場では、こうした揺らぎが日常です。方針が曖昧なまま在宅に振られることもあります。しかし実際は、医療者の曖昧さというより、本人と家族の気持ちが揺れている。その揺れを“構造として理解する”ことが重要です。 ■ 二主治医体制のリアル 透析主治医と訪問診療医。二...

猫に小判 風邪に抗生剤

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外来をしていると、正直なところ「抗生剤、出ますか?」と聞かれる場面は少なくありません。まぁ聞かれて全然嫌ではないのですが…。抗生剤が必要がない可能性が高いことをきっちり説明します。 最初にご案内したいのは「 抗微生物薬適正使用の手引き第三版@厚生労働省 」です。医療関係者(特に研修医の先生方)にもおすすめです。患者さんも読めないわけではありませんので、抗生剤要るのかな?と思ったときには見てみると良いですよ~。 例えば、咳が良くならない!ってときの抗生剤投与の目安は以下の通りで書かれています。 早く治したい。不安を消したい。仕事や学校を休めない。って気持ちは分かります。自分も仕事休めないですもの。 ただ、その一方で、僕自身はいつも少し立ち止まります。 これ、本当に今、抗生剤が必要な場面なのか。それとも「薬があると安心する」という期待に、医療が引きずられていないか。 今日は、抗生剤を「出す・出さない」という単純な話ではなく、なぜ悩むのか、どこで判断しているのか、その思考の中身をできるだけ解説してみましょう! 結論から言うと、 抗生剤を使わない判断のほうが、実はずっと考えています。 まず前提として。 抗生剤は、細菌感染症には非常に強力な武器です。これは事実です。 肺炎、尿路感染、胆嚢炎、皮膚感染症。これらは抗生剤なしでは治りません。とは、言えません。肺炎はウイルス性が多いとされています。軽症の膀胱炎は自然治癒します。皮膚もしっかりと排膿されていていれば治ります。小学生の時に膝擦りむいて薬飲んだことなんてなかったですよね? まぁ、でも肺炎、尿路感染、胆嚢炎、皮膚感染症の多くは抗生剤が必要なときがあります。 一方で、いわゆる「かぜ症状」の多くはウイルス感染です。ウイルスには抗生剤は効きません。これは教科書的な話で、たぶん多くの方が聞いたことがあると思います。 ただ、現実の診療はそんなに単純じゃない。 たとえば、 ・熱はある ・のども痛い ・咳も出る ・体もだるい この時点で「ウイルスです」「細菌です」と白黒つけることは、実はかなり難しい(医師20年目ですが…)。 だからこそ、ガイドラインというものがあります。 溶連菌を疑ったときのCentorスコアや各種感染症ガイドラインは、 「この条件がそろったら抗生剤を考える」 「この段階では経過観察...

2026年診療報酬改定を見て、現場にいる医師として感じていること

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今回の改定を読んでいて、正直に言うと「点数が上がった下がった」という話よりも、もっと大きな流れのほうが気になりました。ああ、いよいよ隠しきれなくなってきたな、という感覚です。何がかというと、医療や介護の“支え方の前提”そのものが、静かに変わり始めていることです。 特に介護の分野ですね。現場にいるとここ数年、「なんとなくヤバそうだな」という違和感がずっとあります。人は足りない、でも介護が必要な人は増えている。制度はあるけれど、現実の生活と噛み合わない場面が増えている。今回の改定は、そのズレを数字で覆い隠すことが難しくなってきた、そんな段階に入った印象を受けています。 介護保険だけで回すモデルは、もう余裕がない これまでの介護サービスは、大まかに言えばこういう構造でした。 利用者の自己負担はある程度抑えられ、事業所は介護保険の中で収益を組み立て、人手で支える。この「制度の中でなんとか回す」モデルです。 ただ、ここに現実が重なってきます。 人件費は上がります。担い手は減っています。そして財源には当然限りがあります。訪問介護に至っては財源を絞った印象さえあります。そのわりに今更、ドラマを出してどうするの?( 訪問介護の倒産急増、人材確保に懸命の厚労省 PR動画・漫画など続々 ) この三つが同時に進んでいる状況で、「安く」「質が高く」「人手も十分」という三つを同時に成立させ続けるのは、構造的にかなり無理が出てきます。 これは誰か一人の失敗という話ではないと思っています。制度の設計の問題もあるし、私たち社会全体が「できるだけ負担は増やしたくない」という選択を長年続けてきた結果でもあります。その積み重ねが、今になって現場の余裕を削っている、という見え方のほうが実感に近いですね。 では何が起きやすくなるのか 制度が締まると、まず起きるのは「供給の細り」です。 訪問の担い手が減る、施設の人員確保が難しくなる、結果として同じ量・同じ質を維持しにくくなります。 その先に出てくるのが、自己負担の増加や、施設関連費用の上昇です。制度の枠内で吸収しきれない部分が、少しずつ利用者側に寄ってくる、という流れです。質を落とさないという前提で言えば、今まで低めに抑えられていた入居金や管理費が高くなるでしょう。 そうすると何が起きるか。 施設に入りたくても費用が壁になる。 在宅で支えたくても人手がいない...

「いつもと違う」を医療につなぐ ― 多職種連携における“モニタリング医療”の実際 ―

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先日、成章ネットワークの多職種交流会@佐賀市役所大財別館にて、高齢者モニタリングをテーマにお話しする機会をいただきました。 そこで強調したのは、ひとつの考え方です。 診察だけが医療ではない。 デイサービスも、訪問看護も、施設ケアも、すべてが“モニタリング”である。 これは概念論ではなく、日々の臨床の中で確信している実践的な事実です。 高齢者医療の本質は「治療」より前にある 高齢者は、教科書通りに症状を訴えません。 発熱しない肺炎 痛みを訴えない骨折 進行してから見つかる脱水や感染 食欲低下だけで始まる全身状態の悪化 これらは特別なケースではなく、日常です。 つまり医療の本当の入口は 「診察室」ではなく「生活の場」 にあります。 しかし、生活の場で起きている変化は 「医療言語」ではなく 「なーんか違うねぇ」「どうしたとね?」という生活言語で表現されます。 ここに断絶が起きると、発見は遅れます。 なぜ連携しないと遅れるのか 施設や在宅の現場では、こうした声が少なくありません。 「これくらいで医師に相談していいのか分からない」 「怒られるのではないかと思ってしまう」 この心理的ハードルは、現場の能力不足ではなく、 構造の問題 です。 医師側は「医学的に整理された情報」を受け取る前提で待ち、 現場側は「医学的でない気づき」を抱えたまま躊躇する。 このズレがある限り、医療は“ 重症になってから呼ばれる仕組み ”になってしまいます。 だからこそ必要なのが、 医療へ至る前段階の“モニタリング共有” です。 小さな違和感が医療に変わった実例 ある入所者の方。 バイタルは大きく崩れていませんでした。 しかし職員さんの言葉はこうでした。 「いつもより反応が遅い気がする」 「食事のペースが違う」(食いしん坊の食欲不振は大きな病気が隠れていることが多い) この情報がMCS(Medical crae station)で共有され、看護師がヒアリングし、医療言語へ翻訳。軽度の意識変容と判断し評価すると、感染症の初期でした。 発熱もなく、呼吸苦もないが、血液検査をすると感染症のデータでした。 もし「様子を見ましょう」になっていたら、数日後には全身状態悪化の可能性が高かった。 これは高度な医療ではないけども、「いつもと違う」を拾えた連携の結果ですよね。 ICTは“効率化ツール”ではなく“心理的安...

慢性疾患のケアは家で守れるのか? 佐賀の薬剤師向け講義で伝えた話

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先日、佐賀の薬局さんからご依頼いただき、在宅医療についてお話しする機会がありました。日々の診療の延長線上にある話ではありますが、やっぱり改めて言葉にして伝える時間というのは、自分自身の整理にもなるものです。 在宅医療の講義は先日大学病院でも行っていますので、その資料を転用して…らくちんらくちんとはしてはいません。きっちり薬剤師さん用にリフレッシュしています。キーワード、キースライドは一部用いましたが、やはり対象が違えば求めるものも違います。厚生労働省の資料も用いながら作成しました。 当日は江口医院の待合室を会場にして、薬剤師さんたちが集まってくださってくれました。お茶菓子くらい出そうと思っていたのに、すっかりど忘れしていました。皆さん、緊張しつつも真剣な眼差しを向けていただいたのが印象的でした。質問も多く、こちらが想像していた以上に踏み込んだ内容もあり、現場で悩みながら向き合っている姿が伝わってきました。 講義の中では「慢性疾患の方をどう支えるか」という視点を中心にお話ししました。 在宅医療は、多くの場合“急性期のドラマ”ではありません。ほとんどが、長い時間をかけて病気と生活を両方支える医療です。 病院の慢性期病棟で行われていたサポートを、地域でどう補完していくか。 これは佐賀のように在宅需要が増えている地域だからこそ、避けて通れないテーマです。 ただ、在宅医療には病院と決定的に違う点があります。 それは、 情報が集まりにくい ということです。 血液データも、他院での処方情報も、一つにまとまっていない。薬剤師さんは、患者さんの“断片的な情報”をもとに判断しなければならない場面が多い。講義では、この点を強調してお伝えしました。 それでも、情報が整わない環境だからこそ、薬剤師さんの目の細かさや勘所は大きな価値になります。訪問先での小さな変化や、ご家族の言葉。そこから読み取れるものを、丁寧に医療チームに返していただけるだけで、患者さんの安全は一段と高まります。 講義の最初では、少しだけビジネス的な話にも触れました。理想だけではなく、現実を。在宅医療を続けるには、やはり「持続可能性」が欠かせません。数字を細かく語る場ではありませんでしたが、地域で在宅医療を守っていくために、組織として学び続け、適切に判断していく必要があります。 振り返ってみると、この講義は...

佐賀大学での在宅医療講義を通じて感じたこと — 地域医療教育に携わる想い

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先日、佐賀大学より在宅医療に関する講義の依頼を受け、当院院長が総論を担当しました。地域医療に携わるクリニックとして、大学教育に関わる機会は大変貴重であり、今回の講義を通して、私たちの取り組みや在宅医療の重要性を改めて確認することができました。 講義は訪問診療をテーマにした初めての内容で、所要時間は60分、スライドは約50枚を使用しました。対象は医学部の学生さんで、総論を中心に講義する形をとりました。 Q&A:講義の背景と準備 Q: 今回の講義を依頼された経緯は? A: 「大学経由で依頼がありました。これまでは開業医のキャリアパスについて講義することはありましたが、訪問診療をテーマに講義するのは初めてです。講義では、総論中心で、よくあるパターンを学生に伝えることを意識しました。」 Q: 準備はどのように行いましたか? A: 「在宅医療の重要なポイントや基本的な知識についてはAIに整理してもらいました。一方で、心理面や生活面、患者さんの医療以外のニーズに関しては私自身が加筆しました。AIの整理と私の経験を融合することで、学生が理解しやすい講義資料を作ることができました。」 Q: 学生の反応はいかがでしたか? A: 「質問は特にありませんでしたが、戸惑った表情で考え込む学生もいました。実際の患者さんとのやり取りや言葉にすると、興味を持ったようで、まなざしがこちらに向けられました。また、講義で提示したQRコードを数人の学生さんが写真に撮る様子もあり、関心を示してくれたことを感じました。」 在宅医療の核心:医療とケアの両立 Q: 学生に伝えたいことは何ですか? A: 「在宅医療は、医療だけでは成り立ちません。医療とケアの両立が非常に重要であり、場合によってはケアを優先する価値観を持つことも大切です。特に病院中心の教育を受けた学生さんは、医療ベースで頭が固まりがちです。『ケアが患者の生活や満足感に直結する』ということを理解してほしいと思います。」 Q: 具体的なケースはどのようなものですか? A: 「講義では、よくあるパターンを紹介しました。たとえば家族の介護疲れや、患者さんや家族が困惑しやすい状況です。こうした場面で、医療だけではなく、生活支援や心理面への配慮が必要であることを理解してもらうことが目的です。」 講義の中で感じたこと 講義を通して、...