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ケースカンファを続ける理由。うまくいかない患者さんほど、学びが多い

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はい、2026/4月も院内ケースカンファを開催しました~!! うまくいかない患者さん、いますよね あの、ちょっと曖昧な言い方になりますけど。説明はしてるし、やるべきことも伝えてる。でも、なぜかうまくいかない方って、いますよね。手を差し伸べても距離を取られたり。こちらが関わろうとすると、スッと線を引かれる感じ。 その場では一応まとまるんですけど、あとでなんか引っかかる。あれでよかったのかな、とか。 まー、正解がある話ではないんでしょうけど。 問題は“病気”ではなく、“関わり方”で止まることがある こういうケースを振り返っていくと、病気そのものというより、「関わり方」で止まっていることが多いです。 例えば、 必要なことが続かない 情報がうまく共有されない 関係性が浅いまま進んでしまう こういった状態ですね。 で、これって単純に「やらない人」ではなくて、本人なりの理由や背景があることが多い。ただ、それが見えない。見えないまま進むと、少しずつズレていく。 この“ズレたまま進む感じ”が、一番扱いにくいところだと思います。 正直、こういうケースは消耗します 現場としては、やっぱり消耗はします。少し関係が良くなったかなと思ったら、また戻ったり。踏み込もうとすると、会話が終わったり。あの、もう少し聞ければ見えてきそうなのに、そこに届かない感じ。 で、内心では 「どう関わるのが正解なんだろう」とか、 「このままでいいのかな」とか、 揺れながら関わっていることも多いです。 きれいに整理できるケースばかりではない、というのが実際ですね。 パーソナリティは“調整する対象” カンファでよく出てくるのが、いわゆるパーソナリティの話です。ここで大事なのは、これを“治す対象”として扱わないこと。むしろ、「どう調整するか」という視点になります。 例えば、 自分でやりたい気持ちが強い 他人に任せるのが苦手 納得しないと動けない こういった特徴があるときに、正論を積み上げても、うまくいかないことが多い。なので、「正しいかどうか」ではなく、「納得できるかどうか」で考える。 この切り替えは、学びとして大きいところでした。 例えばこんな“よくある構造”です 例えば、具体的な症例というより、構造としてはこんな感じです。 本人のこだわりが強い 家族や周囲との関係に少し距離がある 医療側との情報共有が限定的 こうい...

体力の限界と透析――あるケースカンファから考えたこと|佐賀市で透析終末期を支えるということ

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2026/02/12 院内ケースカンファを開催しました。 テーマは、体力の限界が近づいた透析患者さんの終末期支援です。 年齢や背景は伏せます。ただ、「老衰の要素が強まりつつある透析終末期」という状況でした。 「透析やめたら1週間で亡くなるっていう感覚、あるよね。」 透析医療には独特の時間軸があります。抗がん剤をやめてもすぐに亡くなるとは限らない。しかし透析は違う。止めれば短期間で命に直結する可能性が高い。 この“時間の圧力”が、意思決定を難しくしている気がします。 ■ 透析終末期の構造的な難しさ 透析終末期(透析 終末期)は、単なる治療継続の問題ではありません。 ・移動の負担 ・血圧低下 ・除水と栄養状態のバランス ・胸水や感染症 ・そして家族の葛藤 会議ではこういうやりとりがありました。 「透析はするけど、見た目上してるだけで、ほとんど引けてない状態だよね。」 「食事入らないから血圧どんどん下がる。引っ張るものがない。」 医療的には“できる”。でも身体は“ついていけない”。ここに、透析終末期の本質があります。 ■ “できる医療”をやめられない文化 日本の医療文化には、「できる医療はやめない」という空気があります。 やめる=手を抜く、やめる=見捨てる そう感じてしまう。しかし本当にそうでしょうか。透析を続けることが、その人のトータルのハッピーさにつながっているのか。移動の負担、通院調整、介護タクシー手配、家族の疲労。 「なんでこんなギリギリまで透析を続けるんだろうって思った。」 会議では、こんな率直な声も出ました。批判したいわけではありません。構造がそうさせるのです。透析は“止めた瞬間”が明確すぎる。だからこそ本人も家族も気持ちは揺れる。 ■ 意思決定は、直線ではない 「最初はやめたい2割、行きたい8割。最後は逆転した。」 意思決定は一回で終わりません。毎回揺れます。 「今日は行く。でも追加は行かない。」「やめたいけど、家族が心配するから。」 在宅医療の現場では、こうした揺らぎが日常です。方針が曖昧なまま在宅に振られることもあります。しかし実際は、医療者の曖昧さというより、本人と家族の気持ちが揺れている。その揺れを“構造として理解する”ことが重要です。 ■ 二主治医体制のリアル 透析主治医と訪問診療医。二...

11月ケースカンファ グループホームにおけるお看取り — 仕事を通して学び続ける環境

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さて、今月もケースカンファです。前回は 9月11日に開催 しました。前回はケア提供者に注目してみるという学びでしたね。 医療の仕事は日々、様々な患者さんと向き合うことから成り立っています。その中でも特に認知症を持つ患者さんが入居しているグループホームでのケアには、特別な配慮が必要です。 グループホームにおける医療提供の特徴はなんでしょうか!? 医療スタッフが常駐していないこと 認知症の患者さんが入居しているので、環境変化に弱いこと と、自分自身は捉えています。 グループホームは看護師の配置が原則必要ではありません。グループホームによっては日頃の体調管理を看護師に依頼していることはありますが、必須ではありません。点滴などの医療処置を行う場合は、訪問看護ステーションに依頼して特別訪問看護指示書(医療保険)でサポートしてもらう必要があります。しかし、特別訪問看護指示書は原則14日の支援であるため、それを超えた場合は施設でできうる医療のみでご納得頂く必要があります。 ここ!病院の勤務医の先生方も知っておいてほしいポイントです。訪問診療が入っていても、そこで治療ができない施設ってあるんです。 だから、グループホームで最後まで看取りをするところは限られています。その場合は、個人的には介護度が3になった時に医療職が配置されている施設に変更することをお勧めしています。 認知症がベースの患者さんが、環境の変化—特に入院—により、精神症状が悪化する可能性があることはよくあります。環境が変わることで患者さんの心が乱れ、以前は見られなかった症状が表れることもありますから、入院によるリスクを避けるという判断は慎重を要します。 さらに、私たちが直面する現実として、老衰などの終末期においては、入院することで得られる医療的な利益が少ないことが多いです。こうした患者さんの場合、環境の変化が精神面での負担を増やし、身体的にも無理に医療介入を行うことで、逆に質の高いケアが難しくなることもあります。したがって、入院の意義が乏しいと感じることもしばしばです。 ケース緩和を通じて学んだこと 最近、ある患者さんのケースカンファを行った際、その過程で多くの学びがありました。こうしたケースを通して感じたことは、単に医療技術や知識だけではなく、ケアチーム全体としての協力とコミュニケーションの重要性です。 私た...

2025/09/11 ケースカンファを開催しました

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さて、今月のケースカンファです! 2025/09/04開催予定が、急な往診が入って11日開催となってしまいました。ところが当日も急な往診が入って、また延期かぁ~と思ったところ全員戻ってきての参加になりました。 医師3人、看護師5人のバトル禁止のまろやかケースカンファですよ! 今回のケースカンファで自分が得られた学びは、ざっとまとめると次の3点です。 多分、看護師さんは看護師さんの視点の違う学びがあるんじゃないかな? 長年関わった人の意見の重み 担当者の固定しすぎ功罪 家族以外の介護者の余力もモニタリングする こうした気づきは、普段の診療ではなかなか表に出てこないものです。ケースカンファに参加することで、チーム全員の思考や経験を一度に吸収できるのが大きな魅力です。参加希望の方は、ぜひ次回の開催に注目してください。 ケースA:延命治療をするかどうかで意見が分かれた場合 仮想のケースですが、患者さんは高齢女性で、延命治療を望むかどうかで家族内で意見が分かれました。妻は自然な経過で見守りたいと考え、子ども世代は積極的治療を希望しました。こうした状況では、医師としては、どちらかに肩入れしにくいのですね。基本的にはキーパーソンにお話をして、家庭内で話してもらう。ただし、 長年関わってきたケア提供者の意見 を「尊重」することが非常に重要です。 自分が感じたのは、「結果論として正しかったかどうか」は後から分かるとしても、その人がどう考えてその意見に至ったかを理解すること自体が、チーム全体の学びになるのではないかと考えました。もう少し意見をシェア出来ると良かったかもしれません。ここで得られたのが学び①、「長年関わった人の意見の重み」でした。 ちなみに、このご時世パターナリズムを使用した意思決定支援は医師は苦手になってきています。説明義務違反がバズっている今日このごろですが、最近の医師はインフォームド・コンセント、意思決定支援が身についているので、「あんたは入院!!」みたいなパターナリズムな言動は不慣れでストレスで、ハイリスクだと認識するんですよね。そこはコメディカルのみなさんも知ってほしいポイントです。 ケースB:本人の希望と介護者の負担のバランス 次に、本人は「好きにさせてほしい」と考えていたケースを想定します。しかし、介護者やヘルパーの負担は既に限界に近く、日常生活...

気づき、共有、そして予防へ――チームで支える在宅医療の現場から

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在宅医療では、明確な正解が見えにくい中で、小さな変化や気づきを積み重ねていくことが求められます。 私たち江口医院のチームは、日々の診療に加えて、振り返りや対話を通じて、 気づきの質を高め、連携の力を育てていくプロセスそのものを大切にしています 。 今回のケースカンファレンスでは、心不全という見えにくい病態にどう向き合い、どのように変化に気づき、次にどう活かしていくかをチームで真摯に話し合いました。その中で、 “あのとき”の出来事が、“次の一手”を考えるきっかけとなり、チームとしての視点が広がる ことを改めて実感しました。 私たちは、「うまくいった・いかなかった」ではなく、 そこから何を学び、どう次に活かすか を共有し合うことで、在宅チームとして少しずつ前に進んでいます。 本記事が、他の医療・ケアに携わる方々にとっても、新たな視点のヒントとなれば幸いです。 ■「むくみがない」から安心?在宅医療に潜む盲点 このケースでは、患者さんにいつもより元気がない、倦怠感といった変化がありながらも、明確な「むくみ」や「体重増加」がなく、初動対応が遅れました。 結果として、心不全の診断に至るまで時間を要してしまったのです。 心不全には、左心不全(肺うっ血や呼吸苦) と 右心不全(浮腫や頸静脈怒張) という2つの側面があります。しかし、在宅では、レントゲンをすぐに使えるとは限らず、 「症状がなければ見逃される」という構造的な盲点が存在します。 だからこそ、「いつもできていた動作が最近できない」「なんとなく疲れやすそう」といった微細な変化に目を向けることが、医療チームにとって不可欠なのです。 尚、仮説として肺エコーが使用できないかを考えています。下大静脈は右心不全に至らないと見つかりませんよね。 ■認知症の陰に隠れる“気づき”の難しさ 在宅患者さんの多くは認知症も合併しており、体調の変化を自分から訴えることは困難です。 なんとなく息遣いが悪い。いつもより元気がない(認知症のBPSDの加療を行っているとよりわかりにくくなります)などの気づきは、日常の観察を続けてくださる施設スタッフの存在によって初めて可能になります。 ご本人の小さな変化を察知する力は、私たち医療チームにとってかけがえのない情報源です。 ■プロフェッショナル連携の可能性 POS(Problem O...