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政治献金が大きくなると、社会はどう変わるのか

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外来は基本的には緊急往診に対応していないのですが、ぼちぼちと対応してしまう今日このごろです。ここらはビジネスモデルが大きく影響するのですが、聞きたい人はお声かけくださいませ。 今回は政治献金のお話です。 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO99099570U6A001C2MM8000/ 結構前ですが、日本医師会の政治献金がニュースになっていましたよね。金額は約2億円。「結構大きな金額だな」と思っていたんですが、今回の日経新聞!アメリカのテック企業や経営者による政治献金の記事を読んでみると、その金額が霞んでしまうような規模でした。 記事では、2025年1月から2026年6月までに、イーロン・マスク氏やアメリカのベンチャーキャピタル関係者らが、合わせて1億8000万ドル以上を献金したとされています。日本円にすると、約284億円! そこで、そもそも政治献金って何なんだろう、と少し考えてみました。 企業が政治にお金を出すことは、そんなにおかしいのか 企業の経営者が、自分たちのお金や影響力を使って政治を支援する。これは、それだけを考えれば、必ずしもおかしなことではないと思っています。企業は営利組織です。自分たちの事業を成長させ、利益を最大化することが基本的な目的です。政治献金によって、自分たちにとってより良い政策や環境が実現する。それによって企業の収益が増えるのであれば、それは一つの投資と考えることもできます。 実際、企業経営をしていると、「この投資によって将来どうなるか」ということを常に考えます。政治への働きかけも、その延長線上にあると考えれば、企業側からすれば合理的な行動なのでしょう。ただ、ここから少し難しくなります。 「三方よし」なら、それでいいのか 企業が儲かる。政治家も政策を実現できる。社会全体も成長する。こういう関係なら、いわゆる「三方よし」と考えることができます。公益資本主義ってやつですね。 問題は、そうならなかった場合です。企業と政治が近づくことで、一部の企業や政治に近い人たちだけが利益を得る。その一方で、そこに関係のない人たちが置いていかれる。そうなると、少し話が変わってきます。 特に気になるのは、短期的な利益を得るために政治を動かして、その利益を得たら終わり、というような関係です。それでは、地域で暮らしている普通の人た...

河口慧海の旅から考えた「知りたい」と「やり遂げる」の力

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入院退院で受け入れ、送り出しと情報提供書を作ったりもらったりと忙しい日々です。ファイナルファンタジーVIIのリメイクを買いたいなぁと思いつつも、そんな時間がない…と諦めがちな今日このごろ。昔は、ミニゲームも楽しめていたのに煩わしさをはんなり感じています。年を取ったということでしょうか。 さて、今回はチベットRPGとも言える河口慧海さんの チベット旅行記 についてです。 命をかけて、知りたいものを見に行く この本を読んで一番強く感じたのは、「ここまでして知りたいのか」ということでした。 慧海は、仏教を学ぶためにチベットを目指します。今の感覚からすると、とんでもない旅です。ヒマラヤの脇を越えていくわけですが、私が勝手に想像していたのは、ものすごい装備をして、トレーニングを積んだ人が登っていくような姿でした。 ところが、実際には現地の服を着た僧侶が山を越えていく。「そんなものなんだ」と、ちょっと驚きました。もちろん高山病にもなって、雪盲症にもなって医者的にはいわんこっちゃない感がありますが。 そして、何よりすごいと思ったのが、慧海の「勉強したい」という気持ちです。法律を破ってでもチベットに入り、命をかけて学ぼうとする。そこまで思える人は、そう多くないですよね。 では、自分だったらどうするか。これは、なかなかできないと思います。命をかけてチベットまで行くことは、私にはできません。というより、私はかなりタイパとかコスパを考えて生活しています。 だから、慧海と自分は、好奇心が強いところは少し似ているけれど、程度が全然違う。根性も全然違います。氷の張った川を裸足で渡るとか、そもそも私は川を歩いて渡らないですからね。橋があれば橋を渡ります。 そのあたりは、今の現代社会では考えにくいような「やり遂げる力」がある人だったんだなと思いました。 「一次情報」を取りに行くということ 一方で、この本を読んで改めて感じたのが、一次情報の価値です。一次情報のことを最近言い過ぎていますね。今は、Googleで検索すれば、世界中の情報が出てきます。Googleマップを見れば、チベットのどこに何があるのかも分かります。実際Googleマップでチベットを見ながら本を読みました。実際はチベットのGoogleマップは少なくてポイントしか見られませんが。動画を見れば、現地の風景を見ることもできます。 それでも、...

「走るのが好きじゃない医者」が、それでも走る理由

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今日は子どもの習い事で送迎が多い日曜日でした。合間に訪問診療中の患者さんの病態報告が来ます。 さて、今回は走ることについてがテーマです。 「走るのが好きじゃない」のに、なぜ走るのか 村上春樹さんの『 走ることについて語るときに僕の語ること 』を読みました。(Amazonリンク) この本を読んでいて、最初に「これは分かるな」と思ったところがあります。走る前、ランニングシューズを履くときの、あの感じです。「今日は家でのんびりしておきたいな」「わざわざきつい思いをしたくないな」正直、そう思うことがあります。 走るのが好きな人なら、そんなことを思わないのかな、と以前は少し思っていました。でも、この本を読んでいると、走ることが好きでも、苦しいとか、面倒だとか、そういう感覚はあるんだなと思いました。 それが、ちょっと面白かった。 一方で、僕は村上さんのようにマラソンを走るところまではいきません。僕が走る目的は、かなりはっきりしています。 健康づくり です。だから、だいたい6km時々10kmとか15kmくらいまで。それ以上、速く走ろうとか、長く走ろうとか、あまり考えていません。 僕のランニングは、かなり「健康に最適化したランニング」ですね。 僕にとって、走ることは「健康づくり」と「本を聴く時間」 走ることには、僕の中では二つの意味があります。 一つは、もちろん健康づくりです。有酸素運動をする。体重をコントロールする。体力を維持する。そういう目的です。 もう一つが、本を聴く時間です。僕はAudibleを使っているので、走りながら本を聴いています。これが意外といいんですよね。小説を聴いていて、ちょうど面白いところに入ると、「もう一周走ろうかな」と思うことさえあります。走ること自体はそれほど好きじゃないのに、本を聴くためならもう少し走れる(笑)考えてみると、僕は結構な活字中毒なのかもしれません。 最近は、NotebookLMを使って医学雑誌などを音声化して、それを聴きながら走ることもあります。そうすると、「これは診療にも使えるんじゃないか」「この病態について、患者さんに説明するときに使えそうだな」なんて考えながら走っています。面白いアイデアが浮かんだときは、一度止まってメモを取ります。休憩代わりですね。そして、また走る。 そう考えると、僕にとってランニングは、単な...

骨粗鬆症は「骨の病気」だけじゃない――転ばない、折らない、動ける体を守る

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いやー、シルバーウィークですね!おかげでブログが進みます!ブログを書いていて良いのかシルバーウィーク!たまにはスプラトゥーンをしないといけません。アサリは塗りが大切仮説を証明せねばなりません。 さてさて、今回は骨粗鬆症のお話です。 「骨密度を上げる」だけじゃない  「骨密度が低いですね。骨粗鬆症の薬を飲みましょう」骨粗鬆症の診療では、こういう説明になることがあります。もちろん、間違ってはいませんが。 でも、僕自身は、それだけだとちょっとリアリティがないなと思うんですよね。骨密度の数字を上げることが、本当の目的なんでしょうか。あの、骨粗鬆症って「骨の病気」ではあるんですけど、僕はむしろ、 これから先も自分で動ける時間を守るための病気 として考えたほうが分かりやすいと思っています。特に女性では、年齢を重ねるにつれて骨粗鬆症が珍しいものではなくなっていきます。75歳くらいになると半数は骨粗鬆症でもおかしくないですね。 だからこそ、「骨粗鬆症になったから大変」というより、「これから先の生活を守るために、どう付き合っていくか」という話なんですよね。 骨粗鬆症で怖いのは「骨密度が低いこと」ではない 骨粗鬆症そのものでは、普段は痛くないことも多いです。だから、患者さんからすると、「骨がちょっと弱いだけでしょ?」という感じになりやすい。ところが、問題はその先です。骨が弱くなると、転倒などをきっかけに骨折することがあります。そして骨折すると、今まで普通にできていたことができなくなる。 歩く。買い物に行く。家事をする。外に出る。人と会う。こういう日常の一つ一つが少しずつ難しくなることがあります。 骨粗鬆症のガイドラインでも、脆弱性骨折はQOLやADLの低下につながり、健康寿命を延ばすうえで大きな妨げになるとされています。だから治療の目的は、単純に骨密度を上げることではなく、 骨折を予防して、その先の生活を守ること なんですよね。 一度骨折すると、次の問題が始まることがある 診療をしていると、骨折には一つの流れがあるように感じることがあります。最初は手首の骨折。その後、背骨の骨折。さらに大腿骨近位部の骨折。連鎖反応ですね。もちろん全員がこの経過をたどるわけではありませんが。(昔ぷよぷよで20連鎖とか狙っていたなぁ) ただ、骨折を一度経験すると、「また骨折する」という問題を考えない...

「血圧130未満って厳しくない?」新しい高血圧の目標を、どう考えればいい?

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世の中シルバーウィークですね。一方、江口医院は昨日は定期の訪問診療があり、平川Drに回ってもらいました。明日も少し訪問診療があり、今日も朝からご相談の電話が鳴っております。シルバーウィークどこいった?! さ、今回は高血圧症のガイドラインが2025年に変わりましたので、そのお話です。…もうあと3ヶ月で2027年ですけど。もう来年のカレンダーや手帳が売られ始めましたね! 血圧を下げるだけじゃない。「下げ続ける」ために一緒に考える高血圧治療 「健康診断で血圧が高いと言われた~」「病院では150なのに、家では130くらいなんです」「血圧の薬を飲んだら、なんとなくフラフラします」高血圧の診療をしていると、こういう相談はよくあります。 以前は「血圧は140を切りましょう」と言われていたのに、最近は「130未満を目指しましょう」と言われる。「え、ちょっと厳しくなってない?」そう思われる方もいると思います。 実際、医療者からしても、患者さんに新しい目標値を伝えるときには、「なぜそこまで下げる必要があるのか」をきちんと説明する必要があります。 今回は、新しい高血圧のガイドラインを踏まえながら、実際の診療では血圧をどう見ているのか、そしてどうすれば無理なく血圧を下げ続けられるのか、イメージしやすいように具体的にお話ししてみましょう! 「130未満」って、そんなに厳しくない? 2025年に新しい高血圧のガイドラインが発表され、治療目標として「130/80mmHg未満」が示されました。これまで「140を切りましょう」と言われていた方からすると、「今まで140でいいと言っていたのに、今度は130?」となるのは当然です。 「薬をたくさん飲ませたいんじゃないの!?」「病院が儲かるから基準を厳しくしているんじゃないの?」……まあ、そこまで疑われると医者としてはちょっと悲しいですが(笑)、そう思う人がいても不思議ではありません。だからこそ、「130未満です」と数字だけを伝えるのではなく、なぜその数字を目標にするのかを患者さんと共有することが大切だと思っています。 一方で、血圧は低ければ低いほどいい、という単純な話でもありません。血圧が下がりすぎれば、ふらつきなどの症状が出ることもあります。特に高齢の方や体調を崩している方では、個々の状態を見ながら調整する必要があります。 つまり、「130未満」という...

AIで医療は楽になるのか? 織田病院の視察から考えた「DXのその先」

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いやー、最近の外来が当日の予約が埋まる埋まる。少し管理業務ができるかな、書類作成ができるかなと思っていたのだが、期待外れにも甚だしい。と、言うことで久々のブログです。まぁ、書類より困った人が優先ですからね。 病院DXをそのまま真似しない。 さて、先日、祐愛会織田病院を見学する機会がありました。もともと私自身が勤務していた病院でもあります。外観だけを見ると、そんなに大きく変わった感じはありませんでした。入口にはPepper君がいましたけどね。 一方で、中に入ってみると、医療現場でのデジタル機器やAIの使われ方、情報の見せ方にはかなり変化がありました。 実は今回、少人数で静かに見学するのかなと思っていたら、40人近い参加者がいました。江口医院からは私と看護師の2人で参加したので、端のほうに座りながら、「思ってた見学とはちがう~」と。多くの方は、ベッド上の状態をモニタリングする機器なども含め、医療・介護DXの実際を見に来られていたのだと思います。 ただ、今回私が見たかったのは、最新の機械そのものではありません。 こういう仕組みを入れると、医療現場の仕事は本当に変わるのか。 そして、 そこで生まれた時間を、医療者は何に使うのか。 DXは「機械を入れること」ではない 病院内を歩いていて、まず驚いたのは情報へアクセスできる場所の多さでした。看護師さんが情報を入力したり、確認したりするためのモニターや端末が、必要な場所にかなり配置されています。最近ではスマホもよくありますが、違いは患者さんを選ぶところがない。ベッドサイドに患者さん用モニタがあるからですね。地味に効きそうです。必要なところですぐ確認できる。ワンクリックで必要な情報にたどり着ける。それだけでも、仕事の流れはかなり変わります。 江口医院でも、「新しいシステムを導入する」ことばかり考えるのではなく、 スタッフがどこで情報を見るのか、どこから入力するのかというアクセスポイントを増やす ことは考えてもいいのかなと思いました。パソコン最近激高ですけどね。 また、体温、血圧、SpO2などについても、測定したデータをできるだけ人間が再入力しなくて済む仕組みが使われていました。こういうところを見ると、DXというのは派手なAIだけではありません。「測る」「書く」「転記する」「探す」という細かい作業を、一つずつ減らしていく。そういう積み...

プロである教師にはストレスマネジメントが必要であーる|ストレスコーピング理論から学ぶ「自分を守る方法」

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最近、スプラトゥーンの新作、レイダースにハマっておりまして睡眠時間を犠牲にしている悪い子です。お陰で表のステージはクリアしました!まあ、楽しいのですがやっぱり普通のスプラトゥーンの方が好きですね。シャケの行動パターンが読めると、ゲームではなく作業になっていくので…。 さて。今回のブログはストレスコーピング理論。プライマリ・ケア医程度のものが、ストレスについて語るとはのう…と精神科の先生から怒られそうな気もしますが、プライマリ・ケア医としての予防としての感覚、産業医としてのストレスマネジメント、そして、公認心理師としての学びをミックスしてお伝えしたところです。 教員の先生方にストレスコーピングについて お話ししました 「先生は大丈夫です」と言う人ほど、本当に大丈夫なのか きっかけは、以前から関わりのあった先生から「ストレスへの対処について話してほしい」というご依頼をいただいたことでした。「Yes!勿論です!」と言って受けたのは良かったんですが、よくよく考えてみると少し緊張しました(ストレス!!)。 というのも、教員の先生方というのは、言ってみれば「人に教えるプロフェッショナル」。そんな先生方に、自分がストレスについて教える!?ということで、「どう伝えたらいいのだろう」と考えました。 ただ、準備をしていく中で、改めて感じたことがあります。それは、先生方も一人の人間であり、当然ストレスを感じることがあるということです。そして、むしろ責任感が強い人ほど、自分の疲れに気づきにくいことがあります。 教員の仕事は、外から見える以上に負担が大きい 教員の仕事というと、「授業をする仕事」というイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、実際にはそれだけではありません。授業準備、生徒対応、保護者対応、学校行事、書類作成、同僚との調整など、多くの仕事があります。 もちろん、私は学校現場のすべてを知っているわけではありません。教育現場には、私には見えていない大変さもたくさんあります。ただ、産業医として働く方々と関わる中で感じるのは、長時間労働や責任の大きさが健康に影響することがあるということです。 調べてみると、教員の労働時間は非常に長く、開業医の労働時間と近い水準という調査もあります。もちろん仕事内容は全く違いますけど。ただ、「人を支える仕事」であること、そして常に責任を背負っているこ...