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“薬を出すだけのクリニック”は本当に必要なくなるのか?

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  今の町医者モデル、20年後はかなり消えていると思います。 AI診断の精度が上がり、薬が配送され、軽症外来の多くがオンラインで済むようになれば、今みたいに“近所で薬を出すだけ”のクリニックはかなり要らなくなる。 残るのは在宅、重症、専門性、地域中核との接続を持つところだけです。… — 中田賢一郎/さくらライフグループ代表/医師x僧侶x経営者/ (@n_kata) May 3, 2026 最近、こんな内容の投稿を見かけました。 「AI診断が進み、薬が配送される時代になれば、“近所で薬を出すだけ”のクリニックはかなり減る」 まー、これは正直、かなり本質を突いていると思います。中田先生は先見性のある投稿が多いですよね。時々トゲがありますが…。 実際、医療の世界でもオンライン診療は広がっていますし、AIによる診断補助も急速に進歩しています。軽い風邪や花粉症くらいなら、「病院に行かずに済む」方向へ進むのは、おそらく自然な流れなんでしょう。 ただ、その一方で。じゃあ本当に、近所のクリニックはいらなくなるのか?というと、個人的には少し違う気もしています。 当然「薬だけください」という受診はある 高血圧のお薬。いつもの胃薬。湿布。花粉症。 もちろん、それ自体を否定するつもりはありません。ただ、個人的には「薬を出して終わり」という感覚では診療していないんですね。 例えば今日の外来でも、高血圧で通院されている患者さんに、がん検診の話をしました。本来、高血圧の診察と、がん検診は直接関係ありません。ある意味、余計なお世話かもしれない。でも、「何を受けた方がいいんですか?」という質問があれば、やっぱり答えます。 骨粗しょう症。ワクチン。体力低下。ダイエット。遠方に住む家族の介護相談。 こういう話、実はかなり多いです。 なので、「かかりつけ医」というより、“健康の相談窓口”に近いのかもしれません。 AIでは難しい領域は、まだかなり残っているし、数字では説明できない「なんかおかしい」もある AI診断って、これからもっと伸びると思います。実際、かなり優秀です。ただですね。現場をやっていると、「データ化しにくい違和感」って結構あります。 例えば。 検査も問題ない。見た目もそこまで悪くない。でも、なんか重症感がある。「あれ、ちょっと変だな」と思って採血すると、肝機能がものすごく悪かった、みた...

情報が多すぎる時代の健康管理。“正しい知識”より大事なこと

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ネットで調べるほど、不安になることがありますよね。 「この症状、ただの風邪かな」と思って検索したのに、気づいたら重い病気ばかり出てきて、不安になってしまった!しまったぁ!なーんて。 元々不安になりやすい人は特にこの傾向にあります。(全般性不安障害が隠れているかも!?) 特に最近は、ネットの情報量が多いですし、AIも発達してきていますから、今後は「AIに相談したら逆に不安になった」というケースも増えていく気がしています。 もちろん、ネットやAIが悪いわけではないんです。ただ、人間ってどうしても不安になると、“悪い方”に引っ張られやすいんですね。 逆に、あまり気にしないタイプの人は、意外と遠回りしません。でも、心配しやすい人ほど、情報を見れば見るほど「もしかして重大な病気なんじゃないか」となってしまう。 そうすると、症状そのものを冷静に観察できなくなることがあります。 「このくらいで受診していいのかな?」問題 これは本当によく聞かれます。「この程度で病院に行っていいんでしょうか?」っていう質問ですね。で、個人的には、あまり“明確な線引き”はないと思っています。例えば風邪でも、きつければ受診していいと思っています。症状って、医学的な重症度だけじゃなくて、“本人のつらさ”も大事なんですよね。 一方で、知識不足によって不安になっている場合は、判断基準をお伝えできることがあります。最近よく使うのは、「 抗微生物薬適正使用の手引き 」を患者さんに案内することが多いですね。 医療者が見ているポイント 例えば、医療者はこんなところを見ています。 ・熱の高さ ・脈拍 ・呼吸状態 ・水分が取れているか ・食事ができるか ・意識状態 ・経過がどう変化しているか 特に「経過」は皆さん意識されていませんが、かなり大事です。半日で悪化しているのか。1日様子を見て改善しているのか。同じ38度でも、“昨日より悪い”のか、“少し楽になっている”のかで意味が変わります。 んで、実は情報だけでは解決しないことがあります ここ、結構大事です。患者さんの中には、情報が欲しい人もいます。でも実際には、「情報」ではなく「安心」が必要な場合も多いんですね。つまり、「知識が足りない」のではなく、「不安が強い」というケースです。そういう時って、ネット記事を10本読んでも落ち着かなかったりします。 でも、診察して、「今の...

忙しいからこそ必要です|在宅・施設看護師に伝えたいフィジカルアセスメントの本質

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施設の患者さんが「なんとなく変だな」って思ったこと、ありますよね。バイタルはそこまで悪くない。でも、なんか違う。で、電話するじゃないですか。クリニックや病院に。あ、入院中の患者さんでもありえますよね。主治医に電話する。 そしたら、「呼吸数は?」「食事量は?」「その所見どうですか?」って聞かれて。あー、そこ見てなかったな…って。で、もう一回確認して、また電話して。あれ、これ一回で終わったんじゃない?って。 こういうの、現場ではわりと普通に起きてますよね。 そんなときのフィジカルアセスメント 入院とは違って、在宅とか施設って、検査がすぐできないんですよね。だから、頼れるのは「問診」と「フィジカルアセスメント」。 ただ実際には、 忙しくて一部しか見れていない 思い込みで必要な所見を取り逃している 情報が足りず、医師とのやり取りが増える こういう状態、結構あると思います。忙しい現場ほど、系統立てたアセスメントが崩れやすいんですよね。 フィジカルアセスメントと情報共有の難しさ 施設で「なんかおかしい」と思って連絡したケース。でも、必要な情報が揃っていなくて、結局やり取りが長引く。 あるいは、在宅クリニックの看護師さんがドクターに報告したときに、「それで、呼吸数は?」「浮腫は?」って聞かれて、「あ、そこ取れてませんでした」みたいなこと。 これ、誰でも一度は経験あると思うんですよね。 あともう一つ。バイタルは正常だけど、なんか違和感があるケース。高齢者だと特にそうで、「異常だけどいつも通り」なのか、「いつもと違う異常」なのか、この判断が難しい。 ここが、フィジカルアセスメントの本質的に難しいところだと思っています。 スクフィジしようぜ すぐ略するの止めたほうが良いですよ。高校生じゃあるまいしと言われそう。ですが、じゃあ何が大事かというと、結論はシンプルで。 フィジカルアセスメントは「スクリーニング」として使う、です。 つまり、 まずは一通り、抜けなく見る 引っかかったところを深掘りする 重症度を判断する この流れ。 若い頃って、どうしても「異常を当てにいく」んですよね。でも実際は逆で、「異常はない前提で全部見る」ほうが精度は上がる。 これを教えてくれたのは好生館の某F先生。口頭で教えてもらったわけではないんですが、診察についていくと必ず全身診察してるんですよ。もう20年も前なのに...

“この先生じゃないとダメ”は本当に安心か—チーム医療の現実

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「先生が変わると不安なんです」これ、外来でも在宅でも言われますね。あの、正直に言うと、その感覚はすごく自然だと思います。ずっと同じ医師に診てもらう安心感、ありますよね。 都会では、主治医制ではないと訪問診療のクリニックを変えるところもあるようです。逆に働き方改革や女性医師の増加、働き方の多様性の増加が原因で「チーム医療」でないと働き手がいないという時代でもあるようです。 そのチーム医療って最近よく聞きませんか?本当に“一人の医師に依存すること”が、長期的に見て一番安定しているのか?少し考えてみましょう! 実際の行動として多いのは、「この先生じゃないと嫌だから、他は受診しない」という選択です。これ、短期的には合理的なんですが、長期で見ると少しリスクがあります。 例えば、 その医師が休んだときに対応できない 情報が属人化してしまう 別の視点が入らない 医療って、どうしても不確実性が残る領域なので、一人に集約しすぎると“揺らぎに弱い構造”、(≒緊急時に弱い構造)になりやすいんですよね。 主治医制の強みと弱み 現場にいると、これを強く感じます。医師も人間なので、インフルエンザにもコロナなりますし、入院が必要になることもあります。いわゆる「医者の不養生」ですね。そのときに、「この患者さんのことは自分しか分からない」状態って、正直かなり不安定です。 一方で、主治医が長く関わっている患者さんの“背景”や“価値観”は、カルテだけでは完全に再現できません。 ここは難しいところで、 属人的な強み 属人的なリスク 両方が同時に存在しています。 チーム医療の本質 チーム医療の本質は、単に人数を増やすことではありません。いくつかのポイントに分解すると整理しやすいです。 まず、複数の視点。 同じ症状でも、総合内科と循環器内科では見立てが変わることがあります。これはブレではなく、解像度の違いです。たとえると、天気予報に近いですね。東から見るのか、西から見るのかで、雨の予測が少し変わる。情報が多いほど、全体像は立体的になります。 次に、ミスの低減。 複数人で確認することで、単純に見落としは減ります。ただし、その代わりにコミュニケーションコスト(時間・手間)は増えます。なので重要なのはバランスです。 そしてもう一つ。 今は電子カルテの普及で、医療情報そのものはかなり共有しやすくなっています。 むしろ...

病気が治らない理由は体だけじゃない——疾病利得と自立の話

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「体調が悪い方が都合がいいかも」って、ふと思ったこと、ありませんか。 まー、言いにくい…いや言いにくくもないんですけど、僕はあります。 20歳くらいのとき、部活のラグビーで足を骨折して入院したんですね。4週間くらい。 で、これがね、びっくりするくらい楽で。「あ、なんか、のんびりできる…これ、いいな」って思っちゃったんですよ。 もちろん、ケガはしたくないんですけど、でも「休める理由ができた」っていう意味では、どこかホッとしていた。この感覚、ちょっと引っかかりませんか。 余談ですけど、ラグビーやっているやつで辞めたいと思ったことがないやつは偽物か本物です。 毎日、毎日僕らは鉄板の~ 日常がきつすぎると、どうなるか。 休む理由がほしくなる やらなくていい状態に逃げたくなる 無理しなくていい環境を求める で、その結果として、「不調」という形で表現されることがあります。これ、病気がウソだという話ではないです。ただ、“行動としての意味”を持っていることがある、という話です。 犯人は…キミではない!! 現場でよく感じるのは、こういうケースです。「治ったら困る環境が待っている人」は、回復が遅い。 例えば、 退院したらすぐ仕事復帰 家庭での負担が大きい 人間関係がしんどい こういう場合、体は回復していても、どこかで“戻りたくない”という力が働きます。 腰痛やめまいでもよくあります。腰痛も精神状態が悪いと長期化するって論文もあります。検査では問題が少ないのに、症状が長引く。これ、体の問題というより、環境とのミスマッチが強いケースですね。 正直に言うと、「症状が問題なんじゃなくて、環境が問題だな」と感じることは、少なくないです。 疾病利得 ここで出てくるのが「疾病利得」という考え方です。 簡単に言うと、“ 病気でいることで、何かしらのメリットを得ている状態 ”です。 Wikiによると… 病いであることから得られる利益。フロイトによれば、心的な苦痛を回避するために内的葛藤を抑圧し、その結果神経症のような症状へ逃避する第一次疾病利得(primary gain)と、疾病であることで周囲の者や社会から同情・慰め・補償などを得る第二次疾病利得(secondary gain)とに分けられる。精神療法では、これら疾病利得に由来する抵抗を解決し、患者の自我がふたたび現実に立ち戻れるようにすることが治療目...

家で治すという選択肢:入院関連障害とHospital at Homeを知る

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「入院させた方が安心ですよね」って、かなり自然な感覚だと思うんですよね。在宅医療を経験してみると、この感覚に多様性が生まれるんですよ。自分も入院という環境しかしらなかったし、在宅医療での治療成績も分からなかった。 僕ら医療者でも、ふとそう思う瞬間ありますし。家族としてだったら、なおさらだと思います。 ただ一方で、こういう違和感もあって。「入院したら元気がなくなった気がする」っていう話、聞いたことないでしょうか? じゃあこれ、どっちが正しいのか。そもそも「家で治す」って現実的な選択肢なのか。今回はそのあたり、現場ベースで少し書いてみます。 入院関連障害=入院による悪影響 実際の現場で起きていることをシンプルに言うと、 不安になると入院を選ぶ でも入院すると動かなくなる 結果として弱って帰ってくる この流れ、かなり多いです。 特に高齢の方だと、75歳を超えるとかなりの割合で、80歳を超えると半分近くの方で、入院をきっかけにADLが落ちると言われています。半分近くだからかなり多いってより、入院すると弱るって考えてたほうが良いかと思います。 つまり、「安全のための入院」が、別のリスクを生んでいる構造があるんですね。 ちゃんと英語の論文もございます。分かりやすそうなのが→Kenneth E at el. Hospitalization-associated disability: JAMA. 306(16):1782-93.2011ですね。 「助かる人はどこでも助かるし、難しい人はどこでも難しい」 これはかなり率直な話になりますが。急性期病院で働いていたときの感覚として、高齢者の急性疾患については「助かる人はどこでも助かるし、難しい人はどこでも難しい」というのが、一定数あります。 医者として、役にたってないんかい!と自らツッコみたくなりますが。まあ対症療法、きつさはだいたい取れます。でも、予後については、もちろん極端な言い方なんですけど。 例えば、一度は回復したけど食事が取れず、数ヶ月で亡くなるケース。あるいは、寝たきりに近くなって帰ってくるケース。 これは珍しくないです。と言うよりギリギリで連れ込まれた患者さんの7割はこれ。1~2割が元気で何も変わらず帰れる。1~2割がそのまま亡くなる。 あともう一つ大きいのが、家族の不安です。 本来は在宅で対応できたかもしれないケースでも...

直美は悪なのか?保険医から見たキャリアの現実と違和感

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最近ですね、研修医が終わったタイミングで、そのまま美容医療に進む、いわゆる「直美」と呼ばれるキャリアが増えてるって言われてますよね。クリニックで働いているとあんまりそんな感じはしないのですが。 あの、これって良い悪いの話、単純じゃないなと思っていて。「自分の人生なんだから好きにすればいいじゃないか」っていう感覚もあるし、でも一方で、何か引っかかる感じもある。 じゃあこの違和感って何なんだろう?今回はそこを、ちょっと整理して(可能な限り)、現場の感覚ベースで話してみようかなと思います。 直美って? 行動としてはシンプルで、「研修終了 → 保険医療には進まず → 美容医療へ」この選択が増えている。 理由も、まあある程度は想像つきますよね。生活習慣病って自己責任っぽく見える部分があるとか、高齢者ばかり診る構造とか、あとは…まあ正直、時間あたりの収益性、いわゆるコスパですね。今の時代、ここはかなり重視される。ただ、この行動が増えたときに、個人としては合理的でも、医療全体としてどうなのか、という視点はあまり語られていない気がします。 まーいいんじゃない? 正直に言うと、個人的には美容に行くこと自体に強い否定はないです。自分の人生なので。ただ、違和感がゼロかというと、そうでもない。 一番大きいのは、キャリアの可逆性ですね。つまり、あとで戻れるかどうか。 総合診療をベースにしていると、内科、救急、在宅、産業医、開業、ホスピタリスト…かなり選択肢が広いんですよね。 一方で、美容に特化すると、その後のキャリアチェンジは、体感としては難しくなる印象があります。 あともう一つ、これはあまり言われないんですけど、教育の問題もあります。 医療教育って、かなりボランティアに近い側面があって。上の世代が時間と労力を使って育てている。でも、その人たちがすぐ別の領域に行ってしまうと、「あれ、これって何のためだったんだろう」という感覚になることもある。 これは感情論かもしれませんが、現場では普通に起きていることです。 美容医療の構造的弱み 少し構造の話をすると、保険医療は「ニーズ」、美容医療は「ウォンツ」に近いです。 つまり、保険医療は「ないと困る」美容医療は「あると嬉しい」この違いは大きい。 例えば経済環境で見ると、保険医療はデフレに強い。美容医療はインフレに強い。ここ数年はインフレなので美容が伸び...