投稿

せっかくいそにアジ取りにいったのに、リーファンとピラニアがSMしててエブッ!

イメージ
意味のわからないタイトルではありますが、医者には分かるはずです。国家試験大変でした。今日のテーマは結核です! 臨床をしているとですね、結核ってですね、本当に忘れた頃に来るんですよ。そして、肺結核だけではないですからね。完全に油断していた、とは言わないまでも、少なくとも自分の診療のど真ん中にある疾患、という感覚ではないんです。 先日、佐賀での結核の講演会に参加しました。登壇されていたのは、東佐賀病院の柴田先生、好生館、佐賀大学の先生方。内容は非常に整理されていて、呼吸器専門医の視点からの実践的な話でした。ただ、聞き終わったあとに知識も残りましたが、ちょっともやっとした少し居心地の悪い感覚でした。 ああ、これは終わっていないな、と。アンテナ立てとく必要があるな~と。 佐賀県のデータでは、若年結核患者の10.4%が外国人とのことでした。国籍はフィリピン、中国、ベトナム、ネパール、インドネシア、ミャンマーなど。数字としては10%。 高齢者施設には、若い外国人スタッフが普通に働いています。そしてその先には、免疫力の落ちた高齢者が集団で生活している。この構図、医学的に見れば、リスクがゼロとはとても言えません。 ここは誤解されたくないのですが、差別の話ではありません。疫学の話です。若年層で一定の罹患割合がある、空気感染する、高齢者は発症しやすい。この条件がそろっている以上、「可能性がある」という前提で考えるのが医療者としては自然だと思っています。 ではどうするのか。 私は、ここは制度で解決するしかないと思っています。雇用時の胸部レントゲンは必須にする。さらに、若年外国人労働者にはIGRA、たとえばクオンティフェロン検査やT-SPOT.TB検査を導入検討する。ちなみに入国時の健康診断はあるようですが、結構見逃されてそうとのこと。 レントゲンは一回です。IGRAも採血を追加するだけ。コストはゼロではないですが、アウトブレイク後の対応、接触者健診、風評被害まで含めたコストと比較すれば、十分に検討に値すると思いますね。個人の注意力に任せるより、最初から仕組みにしてしまう方が公平です。 一方で、高齢者については、正直、迷いがあります。 結核の症状は咳、痰、2週間以上続く咳は要注意。教科書的にはそうです。でも現場はそんなに単純ではない。食欲が落ちた、なんとなく元気がない、体重が減ってきた。肺...

出来ない!をデキサイで解決できるのか? 好生館シンポジウム 2026/02/19

イメージ
デキサイってトレンドですよね~。え、聞いたことない? DxとAIあわせて、デキサイ!はい、いつも通り私の造語です。今回は好生館シンポジウムに参加してきました。テーマはDxとAIです。去年?前回?は、松田先生による疫学的な話で、佐賀記念病院を激ほめしてました。好生館シンポジウムは一般臨床ではない話題で面白いですよね。感謝です。 今回の講演で一番強く残ったのは、やっぱり「持続可能性」でした。病院とかクリニックって、結局そこに尽きるよな、と。人的資本をちゃんと活かすこと、それにDX、それから施設とか設備のマネジメント。この三つが噛み合っていないと続かない、という話でした。 DXっていうと、どうしてもツール導入とかAIとかに目が行くんですけど、あの先生が言っていたのはもう少し地味で。「アンシャックル」って言ってましたけど、足かせを外す、というか、いつも詰まるところを減らすことなんだと。たしかに現場って、なんでここで止まるんだろう、っていうポイントがいくつもある。そこが外れれば、そんなに劇的じゃなくても、全体は回り始める。そういう話だったと思います。 だから、AIを入れれば競争優位になるかというと、むしろ逆かもしれないとも思いました。AIが一般化すれば、どこも同じアルゴリズムを使う。アウトプットは標準化される。質の底上げにはなるけれど、差別化は消える。差がなくなれば、最後は価格か立地か、という話になりかねない。だからAIは戦略というより戦術だと思っています。「入れるかどうか」よりも、「患者さんは何を求めているのか」を言語化できているかどうかの方が、本当は大事なのではないか、と。 DXも同じで、万能ではない。うちでもSlack、LINE公式、メディカルケアステーション、電子カルテと、いろいろ使っています。確かに速くはなりました。でも正直、管理は難しくなった。通知は増えるし、チャネルは分散するし、重要な情報が埋もれるリスクもある。紙は目に入れば認知されるけど、デジタルは開かなければ存在しない。これって構造的な問題ですよね。便利になったはずなのに、別の足かせを増やしていないか、と自分でも疑っています。 だからDXはツール導入というより「情報設計」なんだと思っています。どこに集約するのか、通知はどう設計するのか、最終責任は誰か。そこまで考えないと、効率化どころか疲弊します。 ...

たびょうをたべよう!

イメージ
たびょうって…何!? 食べれるの?食べれません!今回のテーマは「たびょう」って多病です。 グルメ特集ではなくすみません! マルチプロブレム(マルプ)症例って「病気が多いこと」!…ではない 一般に「マルチプロブレム」と聞くと、「高血圧も糖尿病も心臓病もある人」というイメージを持たれるかもしれません。しかし、病名がいくつ並ぶかは本質ではありません。 本当に問題が表面化するのは、「治療同士がぶつかるとき」です。 例えば、心不全(心臓のポンプ機能が弱る病気)がある人に対しては、体の余分な水分を抜く薬(利尿薬)を使います。しかし利尿薬を増やすと腎臓に負担がかかります。腎臓の働き(腎機能)が悪い人では、薬を増やせば心臓は楽になるかもしれませんが、腎臓がさらに悪化する可能性があります。 このとき医師は「どちらを優先するのか」という判断を迫られます。 糖尿病でも同様です。血糖値を厳しく下げれば合併症予防には有利です。しかし高齢者では低血糖(血糖が下がりすぎること)が転倒や意識障害につながる危険があります。 つまり、治療が「足し算」ではなく「バランス調整」になります。 この“綱渡り”が始まったとき、マルチプロブレム症例だねぇと認識します。 ちなみに良い臨床医って、このバランス調整が上手な人だと思っています。抗がん剤の量やタイミングの調整をするとかですね。 マルプは医学的問題だけではないっ! 「医学的問題が2割」って感覚を共有できるDrは少ない。というのは医学的問題を軽視しているわけではありません。むしろ医学的問題は重要です。ただし、医学的問題にはある程度の枠組みがあります。 医学には研究データがあります。 ・この治療で延命効果はどの程度か ・副作用の発生率はどれくらいか ・この病気の5年生存率はどれくらいか 完全ではありませんが、一定の見通しがあります。医療者はその範囲の中で判断できます。 一方、家族や社会的な問題は、数値化できませーん。 ・介護する娘さんが仕事を辞めるかどうか ・兄弟間の意見対立がどこまで深刻か ・経済的余裕がどれくらい持続するか ・「延命は望まない」と言った本人の言葉がどこまで揺らがないか これらには統計的な答えはありません。しかも時間とともに変化します。だから難しいのです。これは人にとっては面倒に感じると思いますし、医師の仕事!とは言い切れないところもありますよ...

体力の限界と透析――あるケースカンファから考えたこと|佐賀市で透析終末期を支えるということ

イメージ
2026/02/12 院内ケースカンファを開催しました。 テーマは、体力の限界が近づいた透析患者さんの終末期支援です。 年齢や背景は伏せます。ただ、「老衰の要素が強まりつつある透析終末期」という状況でした。 「透析やめたら1週間で亡くなるっていう感覚、あるよね。」 透析医療には独特の時間軸があります。抗がん剤をやめてもすぐに亡くなるとは限らない。しかし透析は違う。止めれば短期間で命に直結する可能性が高い。 この“時間の圧力”が、意思決定を難しくしている気がします。 ■ 透析終末期の構造的な難しさ 透析終末期(透析 終末期)は、単なる治療継続の問題ではありません。 ・移動の負担 ・血圧低下 ・除水と栄養状態のバランス ・胸水や感染症 ・そして家族の葛藤 会議ではこういうやりとりがありました。 「透析はするけど、見た目上してるだけで、ほとんど引けてない状態だよね。」 「食事入らないから血圧どんどん下がる。引っ張るものがない。」 医療的には“できる”。でも身体は“ついていけない”。ここに、透析終末期の本質があります。 ■ “できる医療”をやめられない文化 日本の医療文化には、「できる医療はやめない」という空気があります。 やめる=手を抜く、やめる=見捨てる そう感じてしまう。しかし本当にそうでしょうか。透析を続けることが、その人のトータルのハッピーさにつながっているのか。移動の負担、通院調整、介護タクシー手配、家族の疲労。 「なんでこんなギリギリまで透析を続けるんだろうって思った。」 会議では、こんな率直な声も出ました。批判したいわけではありません。構造がそうさせるのです。透析は“止めた瞬間”が明確すぎる。だからこそ本人も家族も気持ちは揺れる。 ■ 意思決定は、直線ではない 「最初はやめたい2割、行きたい8割。最後は逆転した。」 意思決定は一回で終わりません。毎回揺れます。 「今日は行く。でも追加は行かない。」「やめたいけど、家族が心配するから。」 在宅医療の現場では、こうした揺らぎが日常です。方針が曖昧なまま在宅に振られることもあります。しかし実際は、医療者の曖昧さというより、本人と家族の気持ちが揺れている。その揺れを“構造として理解する”ことが重要です。 ■ 二主治医体制のリアル 透析主治医と訪問診療医。二...

猫に小判 風邪に抗生剤

イメージ
外来をしていると、正直なところ「抗生剤、出ますか?」と聞かれる場面は少なくありません。まぁ聞かれて全然嫌ではないのですが…。抗生剤が必要がない可能性が高いことをきっちり説明します。 最初にご案内したいのは「 抗微生物薬適正使用の手引き第三版@厚生労働省 」です。医療関係者(特に研修医の先生方)にもおすすめです。患者さんも読めないわけではありませんので、抗生剤要るのかな?と思ったときには見てみると良いですよ~。 例えば、咳が良くならない!ってときの抗生剤投与の目安は以下の通りで書かれています。 早く治したい。不安を消したい。仕事や学校を休めない。って気持ちは分かります。自分も仕事休めないですもの。 ただ、その一方で、僕自身はいつも少し立ち止まります。 これ、本当に今、抗生剤が必要な場面なのか。それとも「薬があると安心する」という期待に、医療が引きずられていないか。 今日は、抗生剤を「出す・出さない」という単純な話ではなく、なぜ悩むのか、どこで判断しているのか、その思考の中身をできるだけ解説してみましょう! 結論から言うと、 抗生剤を使わない判断のほうが、実はずっと考えています。 まず前提として。 抗生剤は、細菌感染症には非常に強力な武器です。これは事実です。 肺炎、尿路感染、胆嚢炎、皮膚感染症。これらは抗生剤なしでは治りません。とは、言えません。肺炎はウイルス性が多いとされています。軽症の膀胱炎は自然治癒します。皮膚もしっかりと排膿されていていれば治ります。小学生の時に膝擦りむいて薬飲んだことなんてなかったですよね? まぁ、でも肺炎、尿路感染、胆嚢炎、皮膚感染症の多くは抗生剤が必要なときがあります。 一方で、いわゆる「かぜ症状」の多くはウイルス感染です。ウイルスには抗生剤は効きません。これは教科書的な話で、たぶん多くの方が聞いたことがあると思います。 ただ、現実の診療はそんなに単純じゃない。 たとえば、 ・熱はある ・のども痛い ・咳も出る ・体もだるい この時点で「ウイルスです」「細菌です」と白黒つけることは、実はかなり難しい(医師20年目ですが…)。 だからこそ、ガイドラインというものがあります。 溶連菌を疑ったときのCentorスコアや各種感染症ガイドラインは、 「この条件がそろったら抗生剤を考える」 「この段階では経過観察...

2026年診療報酬改定を見て、現場にいる医師として感じていること

イメージ
今回の改定を読んでいて、正直に言うと「点数が上がった下がった」という話よりも、もっと大きな流れのほうが気になりました。ああ、いよいよ隠しきれなくなってきたな、という感覚です。何がかというと、医療や介護の“支え方の前提”そのものが、静かに変わり始めていることです。 特に介護の分野ですね。現場にいるとここ数年、「なんとなくヤバそうだな」という違和感がずっとあります。人は足りない、でも介護が必要な人は増えている。制度はあるけれど、現実の生活と噛み合わない場面が増えている。今回の改定は、そのズレを数字で覆い隠すことが難しくなってきた、そんな段階に入った印象を受けています。 介護保険だけで回すモデルは、もう余裕がない これまでの介護サービスは、大まかに言えばこういう構造でした。 利用者の自己負担はある程度抑えられ、事業所は介護保険の中で収益を組み立て、人手で支える。この「制度の中でなんとか回す」モデルです。 ただ、ここに現実が重なってきます。 人件費は上がります。担い手は減っています。そして財源には当然限りがあります。訪問介護に至っては財源を絞った印象さえあります。そのわりに今更、ドラマを出してどうするの?( 訪問介護の倒産急増、人材確保に懸命の厚労省 PR動画・漫画など続々 ) この三つが同時に進んでいる状況で、「安く」「質が高く」「人手も十分」という三つを同時に成立させ続けるのは、構造的にかなり無理が出てきます。 これは誰か一人の失敗という話ではないと思っています。制度の設計の問題もあるし、私たち社会全体が「できるだけ負担は増やしたくない」という選択を長年続けてきた結果でもあります。その積み重ねが、今になって現場の余裕を削っている、という見え方のほうが実感に近いですね。 では何が起きやすくなるのか 制度が締まると、まず起きるのは「供給の細り」です。 訪問の担い手が減る、施設の人員確保が難しくなる、結果として同じ量・同じ質を維持しにくくなります。 その先に出てくるのが、自己負担の増加や、施設関連費用の上昇です。制度の枠内で吸収しきれない部分が、少しずつ利用者側に寄ってくる、という流れです。質を落とさないという前提で言えば、今まで低めに抑えられていた入居金や管理費が高くなるでしょう。 そうすると何が起きるか。 施設に入りたくても費用が壁になる。 在宅で支えたくても人手がいない...

「いつもと違う」を医療につなぐ ― 多職種連携における“モニタリング医療”の実際 ―

イメージ
先日、成章ネットワークの多職種交流会@佐賀市役所大財別館にて、高齢者モニタリングをテーマにお話しする機会をいただきました。 そこで強調したのは、ひとつの考え方です。 診察だけが医療ではない。 デイサービスも、訪問看護も、施設ケアも、すべてが“モニタリング”である。 これは概念論ではなく、日々の臨床の中で確信している実践的な事実です。 高齢者医療の本質は「治療」より前にある 高齢者は、教科書通りに症状を訴えません。 発熱しない肺炎 痛みを訴えない骨折 進行してから見つかる脱水や感染 食欲低下だけで始まる全身状態の悪化 これらは特別なケースではなく、日常です。 つまり医療の本当の入口は 「診察室」ではなく「生活の場」 にあります。 しかし、生活の場で起きている変化は 「医療言語」ではなく 「なーんか違うねぇ」「どうしたとね?」という生活言語で表現されます。 ここに断絶が起きると、発見は遅れます。 なぜ連携しないと遅れるのか 施設や在宅の現場では、こうした声が少なくありません。 「これくらいで医師に相談していいのか分からない」 「怒られるのではないかと思ってしまう」 この心理的ハードルは、現場の能力不足ではなく、 構造の問題 です。 医師側は「医学的に整理された情報」を受け取る前提で待ち、 現場側は「医学的でない気づき」を抱えたまま躊躇する。 このズレがある限り、医療は“ 重症になってから呼ばれる仕組み ”になってしまいます。 だからこそ必要なのが、 医療へ至る前段階の“モニタリング共有” です。 小さな違和感が医療に変わった実例 ある入所者の方。 バイタルは大きく崩れていませんでした。 しかし職員さんの言葉はこうでした。 「いつもより反応が遅い気がする」 「食事のペースが違う」(食いしん坊の食欲不振は大きな病気が隠れていることが多い) この情報がMCS(Medical crae station)で共有され、看護師がヒアリングし、医療言語へ翻訳。軽度の意識変容と判断し評価すると、感染症の初期でした。 発熱もなく、呼吸苦もないが、血液検査をすると感染症のデータでした。 もし「様子を見ましょう」になっていたら、数日後には全身状態悪化の可能性が高かった。 これは高度な医療ではないけども、「いつもと違う」を拾えた連携の結果ですよね。 ICTは“効率化ツール”ではなく“心理的安...