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なぜ今、地域医療に“マルチプレイヤー型の総合診療医”が必要なのか

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先日、総合診療医が馬鹿にされていたんです(またもXで)… 。ま~よくある話でありますが、今回のテーマは総合診療医です! 自分は総合診療医は否定的なイメージはなくて(そりゃ認知バイアスやろ!)。逆に地域医療って、ものすごく マルチプレイヤー向きの環境 になってきているな、と思ってるんですよね~! マルチプレイヤー医といえば総合診療医! 総合診療医の話をするとき、「(浅く…涙)幅広く診る医者」という説明をされることが多いんですが、正直それだけでは本質を表していないと思っています。 むしろ本質は、 バラバラのものを統合する仕事 なんじゃね?と考察して考えてたところです。 地域医療の患者の多くは「高齢者」 まず前提として、今の地域医療は人口構造が完全に変わっています。日本では、だいたい 3人に1人が高齢者 です。小児や働き盛りの成人は、当然そこまで病気になりませんよね。つまり、医療の大部分を使っているのは高齢者です。 そして高齢者医療の特徴はシンプルです。 問題が1つではない(シンプルではないじゃんか~!)。 高血圧 糖尿病 心不全 認知症 骨粗鬆症 廃用症候群 こういう問題が同時に存在します。つまり、地域医療では 「単一疾患を治す医療」よりも「複数問題を整理する医療」 のほうが重要になってくるわけです。ここで初めて、総合診療医の役割が見えてきます。 専門医が作るのは「局所最適」 誤解してほしくないのですが、専門医の診療はとてもとーーーても、めちゃくちゃ重要です。 例えば 循環器医は心臓を最善の状態にする 糖尿病医は血糖を最善にする 整形外科医は骨や関節を治す それぞれの専門領域では、ベストの判断をしています。 ただ問題が起きることもあります。 それぞれがベストでも、全体がベストとは限らない。 高齢者医療ではよくこういうことが起こります。 気づいたら薬が10種類以上になっている 病院をいくつも受診している 家族も何が起きているか分からない いわゆるポリファーマシーや、医療の分断です。これは誰かが悪いわけではありません。単純に 全体を設計する役割が不在 なんです。ここで総合診療医の価値が出てきます。 総合診療医は「バランスを取る仕事」 総合診療医がやっていることって、それぞれの治療を ゼロにするわけではない 。でも 全部...

もやる DNAR

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  医者に質問😇😇 拡散よろしく😇😇 要介護4の90歳女性が誤嚥性肺炎で入院した。家族との話し合いで心肺停止時は蘇生を行わないことになった。入院後の治療経過は良好であった。入院7日目に病室で患者が心停止しているのを看護師が発見した。看護師は蘇生処置を行うべき? — にゃんでもにゃ医 (@lE9BrvyUwLLVZIE) February 25, 2026 最近また、XでDNAR論争が起きていましたね。 DNAR:Do Not Attempt Resuscitation 心肺蘇生を試みない、という意味です。言葉だけを見ると、すごくシンプルです。でも実際は、結構複雑なんですよね。 上記の状況で、蘇生をするのか、しないのか。 これ、良い問いなんですよね。これだけ議論が起きるということは、みんな引っかかっている。つまり、軸が揺れているということです。 私は在宅医療を中心にやっています。急性期病院は紹介元であり、バックアップ面でも支えてくださる存在です。だからこそ、ACP、DNARは常に考え続けているテーマです。 訪問診療の開始時、私は必ず確認します。 「あらゆる疾患に対して、心停止時に蘇生を希望されますか?」と。 あらゆる疾患、です。 高齢者は急変が起きる可能性が高い病態です。脳卒中かもしれない。窒息かもしれない。心筋梗塞かもしれない。ちょっと乱暴な議論かもしれませんが、実際高齢者(心不全、腎不全)の患者さんの突然死は若い人の突然死より多く発生します。かつ、生命体としての余力が少ないため蘇生後の回復力があまりありません。 「全部やってほしい」と言われる方もいます。 「もう年齢と体力を考えて、人工呼吸器も含めてしないでほしい」と言われる方もいます。 ここでワンポイント! 蘇生は、多くの場合、延命医療の入り口になります。心停止の方を蘇生すれば、気管挿管、人工呼吸器管理、ICU管理へ進む可能性が高い。一般的にイメージされる「ちょっと胸を押す」だけでは終わらないことが多い。 延命治療を含めた蘇生を試みる。 これが意外と共有されていません。 この世にザオリクなんてない。あってザオラル。ほぼパルプンテ。 蘇生率の話もあります。 以前調べた資料では、若年で高度救急医療体制の整った大学病院での蘇生成功率は約50%程度(ザオラル)。一方、施...

春のインフルエンザ祭り 2/23の休日当番医は疲れました…

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2026/02/23は休日当番医。なんとなくインフルエンザが増えているのは分かっていました。 ですので、定期の訪問診療を早朝から始めて、途中から2名体勢の休日当番医となりました。 正直に言うと、休日当番医って楽じゃないです。家族と過ごす時間は減ります。子どもと一緒にいられるはずの日曜に仕事ですからね。そこは普通に嫌ですよね。 でも、病気って日曜だから軽いとか、祝日だから我慢してくれるとか、ないんですよね。 連休の真ん中で高熱出たらどうします?腹痛が続いてるのに病院がどこも開いてなかったら、不安になりますよね。だからこれは「義務だからやる」というより、「地域のどこかがやらないと回らない役割」だと思ってやってます。特に二次救急病院が疲弊しないように!という意識は持って頑張っています🔥 休日当番医で大切なポイントは…! まず一番大事にしているのは、安全性です。これに尽きます。まあ、休日当番医が特別ではなく、安全性ですね。 ただ、休日って、血液検査がすぐ出なかったり、CTが撮れなかったり、制限があるんですよ。だからこそ、重症を見逃さないこと。急性でヤバい病気じゃないかをちゃんとチェックすること。それがプライマリーケアの役割です。軽症と重症を振り分けるトリアージ。それができなかったら意味がない。 その次に効率ですかね。 感染症がドッと来る日は、もうお祭りみたいになります。インフルエンザ、コロナ、溶連菌、マイコプラズマ。どんどん来ます。そうなると、安心感のケアまでゆっくり…は正直難しい。安全を守りながら、スピードも出す。このバランスが現実です。 休日当番医で多い病気は… 多い疾患はやっぱり感染症です。でもですね、「どうせインフルでしょ」は絶対に言えないんですよ。もうそう考えたくなるけど、考えたらバイアスの始まり、地獄の一丁目…。 昨日インフルBが多かったから今日もそうだろう、って思考が引っ張られることがある。これ危ない。だから疲れていても、診察の“お作法”は崩さない。身体診察をちゃんとやる。スクリーニングを抜かない。インフルエンザBの家族の中にコロナや溶連菌もいるんですよね。 将棋で言うと定石みたいなものです。 僕、振り飛車派なんですけど、定石崩すと頭めちゃくちゃ疲れるんですよ。診療も同じで、変な自己流をやり始めると逆に危ない。ルール通りやるほうが安全。 感染症は多いですが、...

せっかくいそにアジ取りにいったのに、リーファンとピラニアがSMしててエブッ!

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意味のわからないタイトルではありますが、医者には分かるはずです。国家試験大変でした。今日のテーマは結核です! 臨床をしているとですね、結核ってですね、本当に忘れた頃に来るんですよ。そして、肺結核だけではないですからね。完全に油断していた、とは言わないまでも、少なくとも自分の診療のど真ん中にある疾患、という感覚ではないんです。 先日、佐賀での結核の講演会に参加しました。登壇されていたのは、東佐賀病院の柴田先生、好生館、佐賀大学の先生方。内容は非常に整理されていて、呼吸器専門医の視点からの実践的な話でした。ただ、聞き終わったあとに知識も残りましたが、ちょっともやっとした少し居心地の悪い感覚でした。 ああ、これは終わっていないな、と。アンテナ立てとく必要があるな~と。 佐賀県のデータでは、若年結核患者の10.4%が外国人とのことでした。国籍はフィリピン、中国、ベトナム、ネパール、インドネシア、ミャンマーなど。数字としては10%。 高齢者施設には、若い外国人スタッフが普通に働いています。そしてその先には、免疫力の落ちた高齢者が集団で生活している。この構図、医学的に見れば、リスクがゼロとはとても言えません。 ここは誤解されたくないのですが、差別の話ではありません。疫学の話です。若年層で一定の罹患割合がある、空気感染する、高齢者は発症しやすい。この条件がそろっている以上、「可能性がある」という前提で考えるのが医療者としては自然だと思っています。 ではどうするのか。 私は、ここは制度で解決するしかないと思っています。雇用時の胸部レントゲンは必須にする。さらに、若年外国人労働者にはIGRA、たとえばクオンティフェロン検査やT-SPOT.TB検査を導入検討する。ちなみに入国時の健康診断はあるようですが、結構見逃されてそうとのこと。 レントゲンは一回です。IGRAも採血を追加するだけ。コストはゼロではないですが、アウトブレイク後の対応、接触者健診、風評被害まで含めたコストと比較すれば、十分に検討に値すると思いますね。個人の注意力に任せるより、最初から仕組みにしてしまう方が公平です。 一方で、高齢者については、正直、迷いがあります。 結核の症状は咳、痰、2週間以上続く咳は要注意。教科書的にはそうです。でも現場はそんなに単純ではない。食欲が落ちた、なんとなく元気がない、体重が減ってきた。肺...

出来ない!をデキサイで解決できるのか? 好生館シンポジウム 2026/02/19

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デキサイってトレンドですよね~。え、聞いたことない? DxとAIあわせて、デキサイ!はい、いつも通り私の造語です。今回は好生館シンポジウムに参加してきました。テーマはDxとAIです。去年?前回?は、松田先生による疫学的な話で、佐賀記念病院を激ほめしてました。好生館シンポジウムは一般臨床ではない話題で面白いですよね。感謝です。 今回の講演で一番強く残ったのは、やっぱり「持続可能性」でした。病院とかクリニックって、結局そこに尽きるよな、と。人的資本をちゃんと活かすこと、それにDX、それから施設とか設備のマネジメント。この三つが噛み合っていないと続かない、という話でした。 DXっていうと、どうしてもツール導入とかAIとかに目が行くんですけど、あの先生が言っていたのはもう少し地味で。「アンシャックル」って言ってましたけど、足かせを外す、というか、いつも詰まるところを減らすことなんだと。たしかに現場って、なんでここで止まるんだろう、っていうポイントがいくつもある。そこが外れれば、そんなに劇的じゃなくても、全体は回り始める。そういう話だったと思います。 だから、AIを入れれば競争優位になるかというと、むしろ逆かもしれないとも思いました。AIが一般化すれば、どこも同じアルゴリズムを使う。アウトプットは標準化される。質の底上げにはなるけれど、差別化は消える。差がなくなれば、最後は価格か立地か、という話になりかねない。だからAIは戦略というより戦術だと思っています。「入れるかどうか」よりも、「患者さんは何を求めているのか」を言語化できているかどうかの方が、本当は大事なのではないか、と。 DXも同じで、万能ではない。うちでもSlack、LINE公式、メディカルケアステーション、電子カルテと、いろいろ使っています。確かに速くはなりました。でも正直、管理は難しくなった。通知は増えるし、チャネルは分散するし、重要な情報が埋もれるリスクもある。紙は目に入れば認知されるけど、デジタルは開かなければ存在しない。これって構造的な問題ですよね。便利になったはずなのに、別の足かせを増やしていないか、と自分でも疑っています。 だからDXはツール導入というより「情報設計」なんだと思っています。どこに集約するのか、通知はどう設計するのか、最終責任は誰か。そこまで考えないと、効率化どころか疲弊します。 ...

たびょうをたべよう!

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たびょうって…何!? 食べれるの?食べれません!今回のテーマは「たびょう」って多病です。 グルメ特集ではなくすみません! マルチプロブレム(マルプ)症例って「病気が多いこと」!…ではない 一般に「マルチプロブレム」と聞くと、「高血圧も糖尿病も心臓病もある人」というイメージを持たれるかもしれません。しかし、病名がいくつ並ぶかは本質ではありません。 本当に問題が表面化するのは、「治療同士がぶつかるとき」です。 例えば、心不全(心臓のポンプ機能が弱る病気)がある人に対しては、体の余分な水分を抜く薬(利尿薬)を使います。しかし利尿薬を増やすと腎臓に負担がかかります。腎臓の働き(腎機能)が悪い人では、薬を増やせば心臓は楽になるかもしれませんが、腎臓がさらに悪化する可能性があります。 このとき医師は「どちらを優先するのか」という判断を迫られます。 糖尿病でも同様です。血糖値を厳しく下げれば合併症予防には有利です。しかし高齢者では低血糖(血糖が下がりすぎること)が転倒や意識障害につながる危険があります。 つまり、治療が「足し算」ではなく「バランス調整」になります。 この“綱渡り”が始まったとき、マルチプロブレム症例だねぇと認識します。 ちなみに良い臨床医って、このバランス調整が上手な人だと思っています。抗がん剤の量やタイミングの調整をするとかですね。 マルプは医学的問題だけではないっ! 「医学的問題が2割」って感覚を共有できるDrは少ない。というのは医学的問題を軽視しているわけではありません。むしろ医学的問題は重要です。ただし、医学的問題にはある程度の枠組みがあります。 医学には研究データがあります。 ・この治療で延命効果はどの程度か ・副作用の発生率はどれくらいか ・この病気の5年生存率はどれくらいか 完全ではありませんが、一定の見通しがあります。医療者はその範囲の中で判断できます。 一方、家族や社会的な問題は、数値化できませーん。 ・介護する娘さんが仕事を辞めるかどうか ・兄弟間の意見対立がどこまで深刻か ・経済的余裕がどれくらい持続するか ・「延命は望まない」と言った本人の言葉がどこまで揺らがないか これらには統計的な答えはありません。しかも時間とともに変化します。だから難しいのです。これは人にとっては面倒に感じると思いますし、医師の仕事!とは言い切れないところもありますよ...

体力の限界と透析――あるケースカンファから考えたこと|佐賀市で透析終末期を支えるということ

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2026/02/12 院内ケースカンファを開催しました。 テーマは、体力の限界が近づいた透析患者さんの終末期支援です。 年齢や背景は伏せます。ただ、「老衰の要素が強まりつつある透析終末期」という状況でした。 「透析やめたら1週間で亡くなるっていう感覚、あるよね。」 透析医療には独特の時間軸があります。抗がん剤をやめてもすぐに亡くなるとは限らない。しかし透析は違う。止めれば短期間で命に直結する可能性が高い。 この“時間の圧力”が、意思決定を難しくしている気がします。 ■ 透析終末期の構造的な難しさ 透析終末期(透析 終末期)は、単なる治療継続の問題ではありません。 ・移動の負担 ・血圧低下 ・除水と栄養状態のバランス ・胸水や感染症 ・そして家族の葛藤 会議ではこういうやりとりがありました。 「透析はするけど、見た目上してるだけで、ほとんど引けてない状態だよね。」 「食事入らないから血圧どんどん下がる。引っ張るものがない。」 医療的には“できる”。でも身体は“ついていけない”。ここに、透析終末期の本質があります。 ■ “できる医療”をやめられない文化 日本の医療文化には、「できる医療はやめない」という空気があります。 やめる=手を抜く、やめる=見捨てる そう感じてしまう。しかし本当にそうでしょうか。透析を続けることが、その人のトータルのハッピーさにつながっているのか。移動の負担、通院調整、介護タクシー手配、家族の疲労。 「なんでこんなギリギリまで透析を続けるんだろうって思った。」 会議では、こんな率直な声も出ました。批判したいわけではありません。構造がそうさせるのです。透析は“止めた瞬間”が明確すぎる。だからこそ本人も家族も気持ちは揺れる。 ■ 意思決定は、直線ではない 「最初はやめたい2割、行きたい8割。最後は逆転した。」 意思決定は一回で終わりません。毎回揺れます。 「今日は行く。でも追加は行かない。」「やめたいけど、家族が心配するから。」 在宅医療の現場では、こうした揺らぎが日常です。方針が曖昧なまま在宅に振られることもあります。しかし実際は、医療者の曖昧さというより、本人と家族の気持ちが揺れている。その揺れを“構造として理解する”ことが重要です。 ■ 二主治医体制のリアル 透析主治医と訪問診療医。二...