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医療機関の倒産が過去最多に。クリニックの経営難は、患者の受診機会をどう変えるのか

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定期の訪問がインフルエンザワクチン接種で追加業務があり大変です。さらに往診とそのマネジメントが増えて流石に疲れてきた今日この頃。一句歌う暇もございません。「ワクチンを…」 最近、外来ではトリアージをできているなあと思うことが多くありました。多くの患者さんの中からこれは病院にいかねばという人をピックアップする。こんなことが多いと…役に立てた嬉しさも大きいですが、やっぱり一息つきたくなりますね。 さてさて、今回は医療機関の倒産、廃業とアクセス制限の話です。 ネット予約ができない高齢者を断る。それは本当に間違いなのか 先日、SNSで気になる投稿を見ました。 耳鼻科の待合室にいたところ、杖をついたお年寄りが初診で来院したそうです。保険証を出したところ、「当院はネット予約の方しか受け付けません」と断られ、帰っていった。 投稿者は、代わりに予約を取ってくれるお孫さんがいることを願いながら、「間違ってない? ねえ、なんか間違ってない?」と問いかけていました。 この投稿を読んで、皆さんはどう感じるでしょうか。 ネット予約しか受け付けないのは、患者さんに不親切な対応でしょうか。医療機関なのだから、困っている人は受け入れるべきなのでしょうか。 私も地域でクリニックを経営する医師の一人です。この問題は、単純に「患者さんに優しくしましょう」という話ではないと思っています。 医療機関の経営は、厳しくなっている 2026年10月18日、 東京商工リサーチが医療機関の倒産動向 を公表しました。 1-9月「医療機関」倒産 過去最多の59件 身近なクリニック、歯科医院で苦境が鮮明 引用:東京商工リサーチ TSRデータインサイト 2026年1〜9月の医療機関の倒産は59件。前年同期の46件を上回り、同期間として過去最多となりました。内訳はクリニック29件、歯科医院22件、病院8件です。背景には、物価や人件費の上昇、後継者不足、人材確保の難しさなどがあります。 クリニックを経営していると、こうした問題は決して遠い話ではありません。 診療報酬は医療機関が自由に価格を決められる仕組みではありません。一方で、物品の価格や人件費は上昇します。同じ医療を提供し続けていても、経営環境は厳しくなっていくわけです。 私自身、院長になって初めて、財務や人事など、勤務医時代にはほとんど扱わなかった問題に向き合うようになりま...

長時間労働は精神疾患の原因なのか?産業医研修で考えた過重労働対策の限界

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今日は、地区の住民運動会でした~!ほんのり暑い中皆盛り上がっていましたね。自分は途中で往診に呼ばれて抜けてしまいましたが、その後ちゃっかり打ち上げには参加してきました🍺 その仕事、本当にそこまでしてやりたいですか? 先日、産業医の研修を受けてきました。今回は実地研修もあり、グループワークもあり面白かったですね。M先生の話はいつも面白くて引き込まれます。 さて、産業医というのは、企業で働く人の健康を守るために、医学的な立場から助言する医師のことです。いま2つの企業の産業医として働いています。今回は、過重労働と健康への影響について学びました。 研修を受けて、改めて考えさせられたことがあります。長時間労働を減らすことは大切です。でも、それだけで働く人の健康を守れるのでしょうか。 そして、もう一つ。 働きすぎている人に対して、私たちは単に「仕事を減らしましょう」と言えばよいのでしょうか。 残業を減らすことと、健康を守ること 長時間労働が健康に悪影響を及ぼすことは、よく知られています。特に気をつけたいのが、睡眠時間です。残業が増えると、帰宅が遅くなる。翌朝の出勤時間は変わらない。すると、真っ先に削られやすいのが睡眠時間です。睡眠不足が続けば、心身の不調につながります。長時間労働は、腎機能など身体の健康にも悪影響を及ぼす可能性があります。 私自身、過重労働を防ぐうえで、まず守るべきなのは睡眠時間だと考えています。ただ、今回の研修で特に興味深かったのは、労働時間と精神疾患の関係について、一律に説明することの難しさでした。 労働時間と精神的な負担の関係は、単純ではありません。仕事への満足度や職場の人間関係、本人の置かれた状況など、さまざまな要因が関係します。 もちろん、だからといって長時間労働が精神疾患に関係しないという話ではありません。問題は、労働時間を減らすことだけで、精神疾患の予防を十分に説明できるのかということです。 ちなみに私の長時間労働は、通勤時間ゼロ、食事をプロテインなどで時短、趣味は息抜きはの良いゲームという形で成り立っています。もちろん、家族のサポートがあってのものですが。 過重労働が減っても、精神疾患は減っていない 研修で示された数字も印象に残りました。 過重労働に関する指標は、10年間で14%から8%に低下している一方、精神障害の労災支給決定件数は、同じ期間...

人は能力で決まるのか、環境で決まるのか。人類の歴史から考えたこと

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人員配置が厳しい中、金曜日が終わりました。明日の土曜日を穏やかに過ごしたいところです。 今日の一句「ランの後 冷たい空気と 熱いお湯 生き生き感じる 秋の朝風呂」 もうそろそろネタ切れになりそうなので、今日の一句がなくてもご容赦ください。朝が冷えてきましたね~!熱いお湯もこれまた気持ちいい。おでんや鍋料理も美味しい季節になってきました。 人の能力よりも、環境の影響が大きいのかもしれない 今日は個別指導をの話からうってかわって『銃・病原菌・鉄』の下巻の読書感想文ですね。 読んでいて一番印象に残ったのは、人間の能力そのものに大きな差があるというよりも、置かれた環境によって、その後の発展が大きく変わるという考え方です。この本では、なぜ地域によって文明の発展に差が生まれたのか、という問題が扱われています。そこには、銃や病原菌、鉄といった技術や資源を手に入れやすい環境だったかどうか、という要因が関係しています。 つまり、ある集団が繁栄したからといって、その集団の人間がほかの集団よりも本質的に優れていたとは限らない。そもそも、発展するための条件が違っていたのではないか、ということです。 この考え方は、個人的には好意的に受け止めました。人の能力や努力だけで、その人の現在の状況を説明することは難しいと思うからです。能力があっても、環境に恵まれなければ、十分に力を発揮できないことがあります。逆に、環境が変わることで、それまで発揮できなかった能力が伸びることもあるでしょう。 これは、人類の歴史だけの話ではないと思います。 日々の生活の中でも、仕事がうまくいかず、精神的に落ち込んでしまう人を見てきました。そういう人を見ていると、本人の能力や努力だけで物事を判断することには限界があると感じます。 もちろん、環境を変えれば誰もが必ずうまくいく、という単純な話ではありません。それでも、今うまくいっていないことが、その人の能力の限界を意味するとは限らない。 そう考えられることには、意味があると思います。私はピグマリオン効果や自己達成予言の効果を、多分他の人より比較的高めに信じていますので、環境次第では変われるという可能性は残しておきたいですね。 それでも、人の性格には変わりにくい部分がある 一方で、人間の性質は環境だけで簡単に変わるものでもないように感じています。例えば、清潔さ、明るさ、正直さと...

集団的個別指導とは? 医療費が高いクリニックは不正をしているのか

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集団的個別指導に行ってまいりました~!診療で疲れている後、皆で集まりましたよ。参加された皆さんお疲れ様でした。皆さんのご期待に添えず?集団的個別指導時の句がひねり出せず。 今日の一句「朝焼けの 見える稜線鮮やかに 遠い家族と お看送りする」(高木瀬の施設) 医療費が高い。それだけで問題なのだろうか さ、九州厚生局が主催する「集団的個別指導」のお話です。2回目なので当日は、思っていたよりも穏やかな雰囲気でした。初めて呼ばれた知り合いの先生は心持ち緊張されているようでした。自分は少しほっとした気持ちになりましたが(笑) ところで、「医療機関が厚生局の指導を受けた」と聞くと、皆さんはどのような印象を持つでしょうか。何か悪いことをしたのだろうか。不正請求でもあったのだろうか。そう思う方もいるかもしれません。というより、そう思う人の方が多いかもしれません。 しかし、 指導を受けることと、不正をしていることは同じではありません。 今回は、集団的個別指導を受けた経験から、医療費と医療の適正化について考えてみたいと思います。 集団的個別指導とは何か まず、制度について簡単に説明します。 保険診療を行う医療機関は、健康保険法などのルールに従って診療報酬を請求します。厚生局は、保険診療の質を高め、診療報酬請求の適正化を図るために、医療機関への指導などを行っています。 ちゃんとルール通りにしてくださいね~って奴です。当日解説H先生が免許の講習の話をされていましたが、似ている制度ですね。 今回受けた集団的個別指導は、個別指導とは別のものです。 集団的個別指導では、診療科や医療機関の機能などを考慮したうえで、レセプト1件当たりの平均点数が高い医療機関などが選定対象になります。単純に医療費の総額が高いという話ではありません。 ここは、一般の方には少し分かりにくいところかもしれません。「医療費が高い医療機関が指導を受ける」と聞けば、その医療機関に問題があるから呼ばれたのだと思うかもしれません。しかし、選定されたこと自体が、不正を行ったという意味ではありません。 医療費が高いのは、医療機関が儲かっているからなのか 私が地域の皆さんに知っておいていただきたいのは、ここです。医療費が高いからといって、その金額がそのまま医療機関の利益になるわけではありません。 例えば、重症の患者さんを診療する場合を考え...

考えすぎても動けない。でも、間違った方向に走ってはいけない

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まだまだ暑いですね。エアコンがまだ必要。銀杏の木は色づいてきていますが(焼き鳥屋さんでぎんなん串食べたい)。 さて、今日の一句「暗い部屋 一人佇む 車椅子 医師の診察 元気です」。いかがでしょうか? 訪問診療に行くとなぜか部屋の電気を消して過ごしている方が多くて驚きます。寝ていると眩しいのでしょうが…。昼はしっかり起きていたほうが良いですよね。 チーズがまだ残っているのに、次のチーズを探しに行く理由 さて、今回も読書感想文です。新しいネタがなくてすみません。『 チーズはどこへ消えた? 』という本を読みました。 スペンサー・ジョンソンの著書で、変化にどう対応するかを物語形式で描いた本です。読みやすく、私も1時間ほどで読み終えました。中学3年生の子どもも、1〜2時間ほどで読んだと思います。トイレに置いておいて、時々読み返したくなるような本ですね。読んでいて思ったのは、以前読んだ『鬼速PDCA』を、物語にして分かりやすくしたようなワクワクする本だな、ということでした。 ただ、今回考えたかったのは、単純に「変化を恐れずに行動しよう」という話ではありません。医療でも経営でも、考えることは大事です。でも、考えているだけでは何も変わらない。一方で、行動すれば何でもよいわけでもありません。 このバランスについて、少し考えてみました。 考察ばかりしていても、前には進まない 医療の現場では、アセスメントを行い、仮説を立て、検証し、次の判断につなげます。もちろん、十分に考えることは必要です。医学的な判断を誤れば、患者さんに不利益が生じることもあります。何でもすぐに実行すればよいというものではありません。ただ、記録ばかりつけていたり、カンファレンスばかりしていたり、考察を重ねること自体が目的になってしまったら、どうでしょうか。 考えた結果を実際の行動に移さなければ、現実は変わりません。私は、仮説と検証をもっとスピーディーに繰り返すという考え方も、医療において大切だと思います。一度で正解にたどり着こうとするのではなく、必要な情報を集めて判断し、実行し、その結果を見て修正する。そういう進め方です。 『チーズはどこへ消えた?』は、考えているだけで動けない人に対して、行動することの重要性を伝えている本だと感じました。ただし、私は最終的にはバランスだと思っています(保身ですが)。 ただし、間違ったチ...

健康になれないのは、本人の努力が足りないからなのか

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今日の一句「秋風の ふわり舞い込む デイサービス 笑い合う声 漏れ聞こゆ」(美則にて)。どうでしょうか!?なかなか我ながら良い句。さて、今日はクリニックのIDが15000人というキリ番でした~!私が院長になったときは9000番台だったかな? ご愛顧ありがとうございます。 健康になれないのは、本人の努力が足りないからなのか さて、今回も読書感想文。今回の本は、『 銃・病原菌・鉄 』という本を読んでいます。ジャレド・ダイアモンドという著者が、人類の歴史を1万3000年という長い時間軸で捉え、なぜ地域によって社会の発展に差が生まれたのかを考察した本です。まだ上巻を読んだところですが、いろいろと考えさせられましたのでまとめていきたいと思います。 特に印象に残ったのは、人間の能力だけではなく、置かれた環境が社会のあり方を大きく左右するということです。私たちは、健康になれない人に対して、本人の努力が足りないと考えすぎているのではないでしょうか。 人間の努力だけで、結果は決まるのか 糖尿病や肥満症の診療をしていると、生活習慣について考える機会がたくさんあります。食事を見直す。運動する。タバコをやめる。健康のために必要なことはいろいろあります。 ただ、同じように取り組もうとしても、人によってできることは違います。例えば、30分歩くことを考えてみます。30分歩くのは大したことではないと思う人もいれば、それだけで大変だと感じる人もいます。普段から1時間走っている人もいるでしょう。そもそも、本人にとっての努力の量が違うのです。遺伝的な違いもあります。同じように食べていても、体重の変化には個人差があります。 もちろん、だからといって生活習慣を改善する意味がないわけではありません。ただ、結果だけを見て「あの人は努力したから健康になった」「この人は努力が足りないから健康になれない」と簡単に判断することには、少し注意が必要だと思います。 私たちは、本人の努力を評価する一方で、その人がどのような条件の中で生活しているのかも見なければいけないのではないでしょうか。 健康を左右するのは、本人の意思だけではない 医療には「健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)」という考え方があります。健康は、遺伝や医学的な要因だけで決まるのではありません。所得、教育、...

人徳とテクニック。私が一緒に働きたい人について考えていること

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秋空の 空にきらめく星のした 走る足音 息切れるかな。 すぐ調子にのって歌を作ってみました( 河口慧海さん的:ブログ参照 )。 今日はおやすみをもらって歯医者さんへ。チェック、メンテナンス、ケア質問が中心です。予防にまさる治療なしですからね。 今回のテーマは「採用」です。ちなみに行っている歯医者さんは皆、顔採用!?と思えるくらいの美女揃いです。 (注:最近AIが作ってくれる医者がイケメンすぎて嫌です。院長ではありません。) 「仕事ができる人」と「一緒に働きたい人」 企業の採用担当者に、選考で何を重視するかを尋ねた アンケート がありました。( 「企業の『新卒採用動向』における調査 2025」結果報告 ) 最も多かったのが「人柄や性格」で約6割。次いで「自社への熱意」「思考力や問題解決能力などの汎用的スキル」「採用ポジションへの適性」と続いていました。 資格や専門的なスキルよりも、知識や技術だけでは測れない部分を重視する傾向があるようです。 これを見て、私自身も採用について少し考えてみました。私が一緒に働きたいと思う人は、どんな人なのか。 結論から言うと、ぜいたくではありますが、私は「人徳とテクニック」の両方を持っている人と働きたいと思っています。それに応じれるほどのクリニックであれるのか!? 私が大切にしたい「人徳」 まず、人としての特性です。私は、優しさ・思いやり、清潔さ、明るさ、正直さ、素直さ。こういうものを大切にしています。 これ論語から取っています。仁・清・明・正・直ですね。余談ですが、大正時代の女性の名前が上記5つ+子で出来ていることって多いですよね。昔の人は論語読んでたんだろうなぁと推察しています。 話題が戻りまして、もちろん、医療の仕事ですから、資格や専門的な技術は必要です。ただ、それだけでは「この人と一緒に働きたい」とはならない。むしろ、仕事を一緒にするという意味では、人としての特性のほうが大きいのではないかと思っています。 例えば、素直さ。 これは単に「言われたことを何でも聞く」という意味ではありません。人からアドバイスを受けたときに、一度受け止めることができる。自分のやり方がうまくいかなかったときに、「自分は間違っていたかもしれない」と考えられる。そして、そこから学ぶことができる。 これは仕事をする上で、とても大切な能力だと思います。 「正直さ」...