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地域医療構想ガイドラインを読んで ― 現場の医師が感じた期待と現実

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厚生労働省が示している 「地域医療構想ガイドライン」 を読みましたー。計81ページ…。勿論関係あるところだけです!全部読んでいません!前回のブログは、そのガイドラインを作った厚生労働省の医療技官の講演をベースにしています。今回のブログはガイドラインそのものについてです。内容が一緒なので被るところもありますが、ご容赦ください。 「地域医療構想ガイドラインでは、2040年に向けて、高齢者の救急搬送の増加や複数の慢性疾患を抱える患者の増加を見据え、急性期から回復期、在宅医療まで切れ目のない医療提供体制を構築することが求められています。」 最初に結論を言うと、私は 方向性には賛成 です。 少子高齢化が進み、医療や介護を取り巻く環境が大きく変わっていくことは間違いありません。地域全体で支え合う医療へ移行しようという考え方も、その方向性自体は正しいと思っています。 ただ、現場で日々診療をしている立場から読むと、少し気になることがありました。 率直に言えば、 「現場のリソースを少し(かなり?)楽観視しているのではないか。」 そんな印象を受けました。ということで、私の評価を100点満点で表現すると、ガイドラインの方向性:80点、実現可能性:40点というのが正直な感想です。 現場は「やりたくない」のではなく「できない」 地域医療構想では、在宅医療の充実、高齢者救急への対応、地域連携の強化、オンライン診療、医療DXなど、多くの取り組みが示されています。どれも必要なことです。 問題は、 「誰がやるのか」 という部分です。医師不足だけではありません。看護師も足りません。介護職も足りません。ヘルパーはさらに深刻です。数年前までは「ケアマネジャーが見つからない」と言われていましたが、最近では「ヘルパーが見つからない」という話を聞くことが圧倒的に増えました。 制度はあります。でも、その制度を動かす人がいません。この状況は、行政資料だけではなかなか伝わりません。昔々、国民保険 ガイドラインの記載内容と現実的な状況を見てみましょう 「医療機関、介護事業者、行政など、多職種・多機関が連携し、地域全体で医療と介護を支える体制づくりが必要とされています。」  問題は、『連携しましょう』ということではなく、『連携する人材が足りない』ことです。 「医育機能については、大学病院などが中心となり、地域医療...

2040年の地域医療はどう変わるのか ― 新たな地域医療構想から見えてきた、これからの医療機関に求められる役割 ―

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 「2040年の地域医療はどう変わるのか。」 厚生労働省が示した「新たな地域医療構想」 は、単なる制度改正ではありません。人口減少、高齢化、人手不足、DX・AIの普及など、社会そのものが大きく変化する中で、日本の医療をどう維持していくかという国家レベルの方向性です。 この地域医療構想の作成に関わった厚生労働省医務技監の講演の記事がm3に乗っていました。特に印象的だったのは、「医療者の考え方そのものが、改革の成否を左右する」という視点でした。 これまで医療政策は「病床をどうするか」「診療報酬をどうするか」といった制度設計が中心でした。しかし今回は、「医療者や患者のマインドセット」まで踏み込んで議論されています。制度だけではなく、人の考え方まで変えなければ2040年の医療は維持できない。そのような強いメッセージでしたが…。 今回のブログは地域医療構想を読んで大きな雑感について、です。細かいツッコミは次のブログかな? 「高齢者が増える時代」は終わらず、「働く人が減る時代」が始まる これまで日本の医療は、高齢者の増加に対応することが最大の課題でした。しかし2025年以降は状況が徐々に変わります。本当の問題は、高齢者が増えることではありません。医療や介護を支える「働く人」が急速に減少していくことです。 つまり、「患者が増える」ではなく、「支える人がいなくなる」ことが最大の課題になります。限られた人数で、より多くの患者さんを支えられる体制づくりが必要になります。 そのためには、厚生労働省の言う通りDX、AI、ICT、業務効率化が重要になります。ただし、重要なのは「何でもAI化すること」ではありません。AIやDXは、人がやらなくてもよい仕事を減らすための道具です。例えば、情報整理、書類作成、データ入力、スケジュール管理などは積極的に効率化できます。 一方で、患者さんの言葉を整理し、本当の困りごとを言語化すること。人生の優先順位を一緒に考えること。悲しみや不安に寄り添うこと。こうした共感を必要とする仕事は、人だからこそ担える役割です。 AIは優秀なアシスタントにはなれても、「一緒に悩む仲間」にはなれません。これからは、人にしかできない仕事へ医療者の時間を集中させることが重要になると考えています。 外来中心の医療から、地域全体を支える医療へ 2040年に向けて最も変化するのは...

医療は技術だけではない。佐賀大学総合診療部40周年同門会で再確認したこと

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先日、 佐賀大学総合診療部 の同門会に参加してきました~。 この同門会は、佐賀大学総合診療部に縁のある医師が集まる会です。今回は初代から4代目までの教授がそろい、私自身がお世話になった2代目小泉俊三教授・3代目山下秀一の教授とも久しぶりにお話しすることができました。 普通の学会では最新の研究や診療について議論することが多いのですが、同門会では少し違います。同じような環境で学び、それぞれ異なる道を歩んできた先生方が、自分たちの経験や考えを語り合う場です。診療技術だけではなく、「医師としてどう成長してきたか」「どんなことを大切にしてきたか」といった話を聞ける、とても貴重な時間でした。 今回、最も印象に残ったのは、教授の先生方が口をそろえて「教育に携われて良かった」と話されていたことです。(まあ、当然といえば当然) 私は教授という立場の方であれば、研究や論文、学術的な成果について語られるのではないかと想像していました。しかし実際には、後輩を育て、多くの医師の成長を見届けてきたことを、何よりの喜びとして話されていたのです。 更に、「医師として一番大切なことは何だと思いますか?」という少し抽象的な質問をしてみました。この質問、こんなところじゃないと聞けないですよね。博識な教授から「難しい質問だね」と笑いながら答えていただきました。博識な教授に難しい質問と言わせてしてやったり感を勝手に持ちましたが。 なんとお二人とも、論文の数や肩書きではなく、「臨床医として誠実であること」が何より大切だということです。表現はお二人とも違いましたが本質はそこだと勝手にまとめました。 患者さんの話を丁寧に聞くこと。困っている人に手を差し伸べること。責任を持って最後までフォローすること。そうした一つひとつの積み重ねこそが、医師として最も大切なのだと改めて感じました。 私自身も今回の同門会を通して、改めて心に留めたいとじーんと思いました。どれも特別なことではありません。しかし、こうした積み重ねが医療の質を支えているのだと思います。 また、今回の同門会では、診療そのものよりも「教育(哲学も含む)」や「組織づくり」について考える機会が多くありました。患者さんからは見えにくい部分ですが、クリニックが良い医療を提供し続けるためには、診療技術だけでは十分ではありません。 スタッフが学び続けられる環境をつくること...

湿布の処方と医療費の話――医師は何を考えて出しているのか

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湿布は、本当に簡単な話なのか 最近、「湿布を保険でどこまで出すのか」という話題が出ています。 市販薬と似た薬、いわゆるOTC類似薬について、保険給付を見直すという議論です。報道では、OTC類似薬について薬剤費の一部を追加で患者さんに負担してもらう制度案や、日常的に医師が使用を指示している湿布などは対象外にする案が出ているようです。 これに対して、ネット上ではいろいろな意見があります。 「湿布くらい自分で買えばいい」 「医療費のムダではないか」 「いや、慢性的な痛みがある人には必要だ」 「薬局で買うと高いから困る」 まー、どの意見も、ある程度は分かります。っていうか、まぁ根治的ではないですからね。気持ちは分かります。ただ、地域の診療所で実際に患者さんを診ている立場からすると、湿布の話は、そんなに単純ではないんですね。 「湿布はムダか、ムダではないか」 この問いだけで考えると、たぶん大事なところを見落としていると思うんですよ。 事件は会議室で起きていない 医師は盲目的に湿布を出しているわけではないってこと、ここはお伝えしたいところです。医師は、何も考えずに湿布を出しているわけではありません。もちろん、昔ながらの流れで「いつもの湿布をください」と言われて、そのまま処方されている場面も、あると思います。そこは否定しません。 ただ、少なくとも現場では、「この痛みは湿布でよいのか」「飲み薬の痛み止めの方がよいのか」「胃腸や腎臓への負担はどうか」「高齢の方で内服薬を増やす方が危なくないか」「そもそも骨折やがんなど、別の病気が隠れていないか」そういうことを考えながら処方しています。 湿布は軽く見られがちですが、医師にとっては「痛みをどう扱うか」という医療の一部です。そして、痛みを抑えることも医療の一つです。 根本的に病気を治す薬だけが医療なのか、というと、そうではありません。 いや症状緩和しないと、患者満足度は極めて下がります。結果、医療への不信感も強まります。医療不信になると、医師の声より、検査の結果を信じるようになります。 湿布を出さない方がいい場面もある 実際の診療では、湿布を出さない方がよい場面もあります。例えば、何年も同じ場所が痛いと言っている方に、ずっと湿布だけを出していると、本当の原因を見逃すことがあります。 骨折、神経痛、関節の炎症、がんの骨転移、感染症など、痛みの...

「主と共に生きることを学ぶ 死すべき者たちの哲学」を読んで

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尊敬する在宅医療の先輩医師鐘ヶ江先生から勧められたことが、この本を手に取ったきっかけでした。 死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学 第2版 竹之内 裕文 (著)  本書を読み始めてまず感じたのは、普段私たちが接している医学書や論文とはかなり異なる本だということです。 医療の世界では、統計学や疫学を用いて効果や程度を評価し、その結果を積み上げながら知識体系を構築していきます。私自身も理系的な思考に慣れているため、「どれくらい効果があるのか」「何%改善するのか」といった視点で物事を考えることが少なくありません。 一方、本書はそうした本ではありません。ただし、だからといって根拠のない随想集というわけでもありません。 著者はさまざまな哲学者や思想家、実践者たちの考えに触れながら、自らの思考を深めていきます。統計解析はありませんが、先人たちの思考の上に新たな思考を積み重ねていくという意味では、ある種の質的研究に近い側面もあるように感じました。 本書から学べるのは「効果」や「程度」ではありません。「そういう考え方もあるのか」「そんな死生観もあるのか」「人はそういうふうに生きることもできるのか」そうした思考の多様性です。 医療者は正解を探す訓練を受けています。しかし本書は、正解を提示するのではなく、問いを増やしてくる本でした。 老人ホームは本当に「ホーム」なのか? その中で最も印象に残ったのは、「施設」と「ホーム」の違いについての視点です。施設では、どうしてもサービス提供者が主体になりやすくなります。安全性、効率性、リスク管理を考えれば当然です。 しかしホームでは、本来はそこに住む人が主体になります。医療や介護は、その人の人生を支えるための存在であって、人生の主役ではありません。 この視点は、在宅医療を行う中で私自身が感じていた違和感を言語化してくれました。医療や介護のサービスが十分整っていても、どこか病院の延長線上のように感じる場所があります。一方で、必ずしも完璧な環境ではなくても、その人らしい生活が営まれている場所があります。 その違いは設備や人員配置だけではなく、「誰が主体なのか」という問いにあるのかもしれません。 精神科病床から地域へを受けて また、この視点は精神医療にも通じるものを感じました。近年、精神科病院から地域へという流れが続いています。私は...

施設看護師と訪問看護師は「対立」するものなのか? 在宅医療の現場で感じる役割の違い

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施設看護師と訪問看護師、「見ている景色」が少し違う はーい、今回は施設看護師さんと訪問看護師さんの話ですね。在宅医療をやっていると、やっぱりこの2つの立場って、ちょっと見てるものが違うなあと感じることがあります。 もちろん、どっちが正しいとか間違ってるとかではないんですよ。役割が違うので、優先順位が変わるんですね。 例えば、施設看護師さんって、ある意味「全体最適」を見ています。 施設全体が安全に回るか。 他の利用者さんとの兼ね合いはどうか。 夜勤体制で回るのか。 職員配置はどうか。 そういう、“システム全体”を見る視点が強い印象があります。 一方で、訪問看護師さんは、比較的「局所最適」に近いです。 この患者さんにとってベストは何か。今この人に必要なケアは何か。 そこをかなり深く見ていく。 なので、両方とも患者さんを見ているんですが、見ている角度が違うんですね。で、その違いが時々、「なんかズレてるな」に見える。 でも、個人的には、そのズレを責めるより、「どこに落とし所を作るか」を考えた方が、結局みんなハッピーなんじゃないかなと思っています。 連携がうまいチームは、「否定」から入らない 現場を見ていて、「この訪問看護ステーションさん、連携うまいな」と感じるところってあります。そういうところは、ブラッシュアップは求めるんですけど、頭ごなしに否定しないんですね。 「あんたたちの看護、何なの?」みたいな言い方は、まずしない。入院でもありますよね?「このケアで褥瘡できたんじゃない?」みたいな感じ。まー、当然と言えば当然なんですが、でも忙しい現場だと、つい感情が先に出ることもあります。 ただ、結局それって、相手のモチベーションを削るんですよね。で、モチベーションが削られると、患者さんに返っていく。 だから、うまいチームって、「患者さんとのコミュニケーション」だけじゃなくて、「チームとして最大限アウトプットを出すためのコミュニケーション」を考えてる感じがあります。 ここ、かなり大事だと思っています。 施設側から見えにくい訪問看護 施設看護師さん側が、もう少し訪問看護を柔軟に使ってもいいのかな、と思うことはあります。もちろん介護保険や制度上の制約はあります。 でも、「このケア、そちらでできませんか?」「ここ、少し協力できませんか?」みたいな相談は、もっとしてもいい気がしています。 訪...

なぜ今、医学生も在宅医療を学ぶ時代なのか。佐賀大学での講義を通して

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佐賀大学で在宅医療の講義をしてきました 先日、佐賀大学で在宅医療についての講義をしてきました。対象は医学部4年生の学生さんたちです。去年は5年生向けだったんですね。なので、ある程度病棟実習を経験していて、「臨床ってこういう感じか」というイメージがあった状態でした。ただ、今回は4年生です。まだ病棟実習もこれから、という学生さんも多くて。そもそも「臨床って何?」みたいなところからスタートだったと思います。 なので今回は、「在宅医療とは何か」を説明するというより、まずは“イメージを持ってもらう”ことをかなり重視しました。 AI時代だからこそ、「リアリティ」重視 今って、AIもありますし、PDFや教科書があれば、ある程度の知識は解説してくれる時代なんですよね。だから逆に、「現場の空気感」とか、「実際どう困るのか」とか、「何が教科書通りにいかないのか」みたいな部分は、人間が伝える意味がまだ大きいと思っています。 なので講義でも、できるだけ具体例を入れました。 例えば、「在宅でエコーを使う時って、病院みたいに綺麗にはいかないですよ」という話。 病院の検査と、在宅の検査は違う 講義の途中で、学生さんから「在宅ではどんな検査ができますか?」という質問がありました。これは結構反応が良かったですね。 在宅でも採血やエコーなど、ある程度の検査はできます。ただ、病院みたいに“条件が整っている検査”ではないんですよね。 例えば、ベッドの高さが合わない、患者さんが息止めできない、難聴で指示が聞こえない、痛みで体位変換できないみたいなことは普通にあります。教科書だと「息を止めてください」で終わるんですけど、現場だとそうはいかない。 そういう、“リアルなズレ”を感じてもらえたのかなと思っています。 在宅医療は、「終末期医療」だけではない たぶん、学生さんもそうですし、地域の方もそうなんですけど。在宅医療って、「がんの終末期」「家で看取る医療」というイメージが強いと思うんですね。テレビの在宅医療はそんな話も多いですからね。もちろんそれもあります。 ただ、実際には慢性疾患の管理がかなり多いです。 高血圧、糖尿病、認知症、心不全、脳梗塞後、パーキンソン病、COPDなどなど。むしろ、“長く付き合う医療”という側面の方が強いかもしれません。なので、「通院が大変になってきた」「タクシー代がかなり負担」「家族の...