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「平凡を非凡に生きる」―医師織田正道先生の受賞から考えた、これからの医療と私たちの役割

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お世話になった織田正道先生の受賞パーティーに参加してきました!「お祝いのパーティー」と聞くと、どこか身内感のある、少し閉じた場をイメージしていました。 でも実際に会場に入った瞬間、あ、これはちょっと違うなと。いや、ちょっとではないな。かなり違うな…と。 まず目に入ってきたのが、お祝いのお花です。1列じゃなくて、2列で、しかも角を曲がってもずっと続いている。…どれだけの人が織田先生を祝いたいと思ってるんだろう?そう感じたところから、今回の祝賀会が始まりました。 医療機関から選ばれる医療機関 多くの方は「近いから」「なんとなく安心そうだから」といった理由で選ばれると思います。それ自体は自然なことです。ただ一方で、「本当に信頼できる医療機関かどうか」を判断する材料って、意外と少ないんですよね。 この先生は地域からどう見られているのか どんな人たちと関わっているのか どれだけ長く信頼を積み上げてきたのか こういった部分は、普段の診察だけでは見えにくい。今回の場は、そういう“見えない信頼”が可視化された場だったように思います。 参加されていた方々も印象的 県知事の方や企業の代表の方、医師会の先生方など、本当に幅広い。正直、場末のクリニックの自分がここにいていいのか!?と少し戸惑うくらいの空気感でした。 あとは、ちょっとした驚きでは医療のパーティーに、これだけ多くの政治家の方が来ている。これは今まであまり見たことがなかった光景でした。ただ考えてみると、医療って行政と切り離せないものでもある。近すぎても良くないし、遠すぎても機能しない。 その「距離感」をどう保つか。現場にいながら、改めて考えさせられる場面でした。 今回、強く感じたのは「信頼の積み上げ方」です 特別なことをしている(いや、織田正道先生は特別なこともされていますが…大切なことは…)、というよりはむしろ逆で、 人とのご縁を大切にする 頼まれたことを丁寧にやる 表に見えないところで役割を果たす こういった、一見すると地味なことを、長く続けている。 医療の世界でも同じで、「目立つこと」よりも「外さないこと」のほうが、実は信頼につながります。臨床でも患者さんの期待と、提供する医療がズレない。この“ズレの少なさ”が、安心感の正体なんだと思います。 例えば、風邪で受診された患者さんがいたとします。そのときに、「話をちゃんと聞いて...

医療者が黙っていると思っていませんか?ペイシェントハラスメントと信頼のコスト

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それ、本当に「普通のクレーム」ですか? まー、日々診療しているとですね、いわゆる「クレーム」と呼ばれるものに触れる機会っていうのは、やっぱり少なくないです。で、多くの方は「自分はそんなことしていない」と思っているんですけど、ここが少しズレているポイントかなと思っています。 実はですね、「普通のクレーム」と思っている行為が、法律上はハラスメントに該当する可能性がある、ということはあまり知られていません。 じゃあその違いは何かというと、個人的には結構シンプルで、「感情のコントロールができているかどうか」この一点に集約されることが多いです。 医療現場で起きている「具体的な行動」 例えばですね、伝えたい内容以上に大声になってしまうとか、あるいは、対応が難しいと説明されても帰らないとか、長時間居続けるとか。こういった行動は、内容の正しさとは別に、ハラスメントと判断される可能性が高くなります。 あと最近感じるのは、「医療」ではなくて「サービス」を求めているケースですね。例えば、「この薬を出してほしい」と強く要求されることがあります。ただ、保険診療というのは、医師の診断のもとに必要な医療を提供する仕組みなので、患者さんが内容を決めるものではないんですね。 ここが、一般的なサービス業とは大きく違うところです。 「自分は関係ないかな」と思われた方もいるかもしれませんが、実際に現場で問題になる行為って、そこまで特別なものではないんですよね。 例えば、正当な理由がはっきりしないまま過度な要求を繰り返すとか、長時間その場に居続ける、あるいは電話で長く拘束する、といった行為。これも内容だけ見ると「よくあること」と感じるかもしれませんが、業務に支障が出るレベルになると、ハラスメントと判断される可能性が出てきます。 例えば…「抗生剤を処方されるまでは帰らない」「不要な検査を強要する」のもペイシェントハラスメントになります。また、同じ内容のクレームを何度も繰り返す、複数の窓口に同時に訴える、といった“リピート型”も現場ではかなり負担になります。 それから、やはり多いのが言葉の問題です。大きな声での威圧的な発言や、人格を否定するような言葉、執拗な責め立て。これらは内容の正しさとは関係なく、受け手に強いストレスを与えます。さらに、「対応しなければSNSに書く」「口コミで評価を下げる」といった形での...

医師が説明不足になる理由とは?

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医師と患者のコミュニケーションにおいて、しばしば患者さんは「説明が足りない」と感じられることがあります。逆に、「色々言われたけどよーわからんかった」もあります。どちらも説明不足に感じますよね。 患者側が納得できないまま、治療に進むのは不安が残ります。しかし、実は医師が意図的に説明を控えることには、いくつかの理由があることも。それらを理解することは、患者さん自身の安心感や信頼につながるかもしれません。 1. 「診断が確定していないから」 診察を受けた際、最初に「これが病気です」と断言されることが少ないのは、その病気の診断が確定していないからです。医師は最初に疑わしい症状を挙げ、必要な検査を進めていきます。確定診断を下す前に早急な情報提供をすると、後に診断が変わった場合に混乱を招きかねません。 特に医師の仕事は、診断に至るまでの過程に時間を要する場合が多いため、診断が確定しない段階での説明は慎重に行われます。このため、最初の説明は、どうしても抽象的なものになりがちです。 可能性があるAとBいう病気について説明すると、患者さんはだいたい混乱します。情報は過多なのに説明は不足しているんですね。 医療には「鑑別診断」という考え方があります。病気が疑われた場合、それが何か特定の病気か、あるいは他の可能性も考慮する必要があります。この過程では、最初の段階での説明はどうしても不完全になりがちです。特定の病名を即座に伝えるのではなく、他の病気の可能性を考慮した上で最適な治療方法を選んでいきます。 そのため、診断が確定しない段階では、患者さんに十分な説明ができないことがあるのです。と、いうことでよく使うフレーズとしては、「Aという病気について治療しているが、αという症状が出てきたら診断を見直す必要がある」ですね。 2. 「患者さんに与える情報の量の問題」 先程の話につながりますが、医師が説明を控える理由の一つに「情報量の調整」があります。病気の説明をする際に、どの情報をどれだけ伝えるかは非常に難しい問題です。たくさんの情報を詰め込みすぎても、患者さんがすべてを理解できないことがありますし、逆に必要な情報を省くと説明不足だと感じられることもあります。 医師が説明を控えるのは、患者さんにとって最も必要な情報を、適切なタイミングで伝えるためでもあります。情報が多すぎると混乱を招き...