2026年診療報酬改定を見て、現場にいる医師として感じていること


今回の改定を読んでいて、正直に言うと「点数が上がった下がった」という話よりも、もっと大きな流れのほうが気になりました。ああ、いよいよ隠しきれなくなってきたな、という感覚です。何がかというと、医療や介護の“支え方の前提”そのものが、静かに変わり始めていることです。

特に介護の分野ですね。現場にいるとここ数年、「なんとなくヤバそうだな」という違和感がずっとあります。人は足りない、でも介護が必要な人は増えている。制度はあるけれど、現実の生活と噛み合わない場面が増えている。今回の改定は、そのズレを数字で覆い隠すことが難しくなってきた、そんな段階に入った印象を受けています。

介護保険だけで回すモデルは、もう余裕がない

これまでの介護サービスは、大まかに言えばこういう構造でした。

利用者の自己負担はある程度抑えられ、事業所は介護保険の中で収益を組み立て、人手で支える。この「制度の中でなんとか回す」モデルです。

ただ、ここに現実が重なってきます。
人件費は上がります。担い手は減っています。そして財源には当然限りがあります。訪問介護に至っては財源を絞った印象さえあります。そのわりに今更、ドラマを出してどうするの?(訪問介護の倒産急増、人材確保に懸命の厚労省 PR動画・漫画など続々
この三つが同時に進んでいる状況で、「安く」「質が高く」「人手も十分」という三つを同時に成立させ続けるのは、構造的にかなり無理が出てきます。

これは誰か一人の失敗という話ではないと思っています。制度の設計の問題もあるし、私たち社会全体が「できるだけ負担は増やしたくない」という選択を長年続けてきた結果でもあります。その積み重ねが、今になって現場の余裕を削っている、という見え方のほうが実感に近いですね。

では何が起きやすくなるのか

制度が締まると、まず起きるのは「供給の細り」です。
訪問の担い手が減る、施設の人員確保が難しくなる、結果として同じ量・同じ質を維持しにくくなります。

その先に出てくるのが、自己負担の増加や、施設関連費用の上昇です。制度の枠内で吸収しきれない部分が、少しずつ利用者側に寄ってくる、という流れです。質を落とさないという前提で言えば、今まで低めに抑えられていた入居金や管理費が高くなるでしょう。

そうすると何が起きるか。
施設に入りたくても費用が壁になる。
在宅で支えたくても人手がいない。
その結果、家族が担う部分が増えていく方向に戻っていく可能性があります。

つまり、制度が前に出て支えていた部分が少しずつ後ろに下がり、家族と地域が背負う比重が増えていく。介護保険がない時代に戻るのか?現場にいると、そういう未来像が現実味を帯びてきています。これは介護殺人、介護離職が今後は増えるんじゃないかな。昔よりインフレで、核家族化も進んでおり、状況は極めて悪いという印象です。

「負担を増やしたくない」が、別の形の負担を生む

よく聞く言葉がありますよね。「保険料はこれ以上上げられない」「公費の負担は増やせない」。

これ自体は自然な感覚だと思います。誰だって毎月の支払いは軽いほうがいい。ただ、ここから始まる流れを現場から見ていると、少し複雑なことが起きます。

保険料の負担を抑えようとすると、制度全体の支出はどこかで調整されます。
その調整先の一つが、「自己負担」です。

つまり、「みんなで広く少しずつ払う」から「必要になった人が、その場で多めに払う」という形に、静かにシフトしていくわけです。ここで、ちょっと不思議なことが起きます。

自己負担にすると、なぜか“社会全体の支出”は増える

一見すると、自己負担が増えれば「公費の負担は減る」ように見えます。でも、社会全体のお金の流れで見ると、むしろ高くつく場面が出てきます。

分かりやすい例が、薬です。

保険診療で処方するロキソニンは、1錠10円台です。
一方、薬局でOTCとして買うロキソニンは、1錠100円前後します。

約10倍です。

ではこの差額の90円は何かというと、「無駄」ではありません。流通コスト、販売経費、利益、広告費、在庫リスクなど、いろいろな要素が上乗せされた“市場価格”です。

つまり、保険の中 → 公的な価格「統制」に対して、保険の外 → 市場原理です。ここで考えてほしいのは、「誰が得して、誰が損するか」です。

誰かが得をするとき、別の誰かが負担している

OTCの価格は需要と供給で動きます。
コロナのとき、解熱鎮痛薬が店頭から消えて価格が跳ね上がったのを覚えている方も多いと思います。需要が集中すると高くなる。これが市場の仕組みです。つまり、保険の外に出た瞬間、医療は「社会保障」から「商品」に近づきます。

そのとき何が起きるか。負担できる人は買える。負担が重い人は我慢する。結果として、症状が悪化してから医療にかかるケースが増え、かえって医療費が膨らむ。

そしてもう一つ。市場で上乗せされたコストは、最終的には利用者が全額払います。保険のときのように、広く分散されません。

だから、「保険料は抑えられた」けれど「病気になった人の負担は大きく増えた」さらに「社会全体の医療関連支出は、むしろ高くなった」という、少し皮肉な構造が生まれます。

医療を市場に任せている国があります。アメリカ合衆国です。市場に任せると誰が儲かるか。医師の給与も日本より高いのですが、薬剤会社、民間の医療保険会社も儲かるのです。(仕事を作る面もありますが)

これが介護の世界でも起き始めている

この構造、実は介護でも同じ方向に動いています。制度の中で支えきれない部分が増えると、保険外サービス、自費負担、家族の無償労働……このどこかにしわ寄せが行きます。

「保険の負担は抑えられた」でもその代わりに、家族が仕事を減らす、自費サービスで支出が増える、支えきれずに状態が悪化する。こういう形で、別のコストが生まれます。しかも、見えにくい形で。

現場にいると、「制度上は整っているのに、生活は苦しくなっている」というケースに出会うことが増えています。これが、いま起きている変化の本質の一つだと感じています。

医療だけでは在宅は成立しない、という現実

在宅医療に関わっていると、はっきり分かることがあります。医療があるだけでは、在宅は成立しません。生活の支え、介護の手、家族の関わり。この三つがそろって初めて、医療が機能します。制度上は「サービスがあります」と書いてあっても、実際に人が動けるかどうかは別問題です。

制度上の調整が必要なケースに関わることもありますが、そのたびに感じるのは、制度の議論よりも先に生活のほうが崩れやすい、ということです。制度は枠組みですが、暮らしは毎日続きます。この時間軸の違いが、これからさらに大きな課題になっていくと思っています。

さて、この課題は最終的にどこにたどり着くか。二次救急です(仮説)。佐賀市で二次救急を担っている病院が疲弊すると予測しています。プライマリ・ケアと救急は鏡の裏表だと思っています。

では、現場はどう構えるか

制度そのものを私たちが変えることはできません。でも、どう向き合うかは変えられます。

これからより重要になるのは、早い段階からの相談、医療と介護を分けて考えない視点、そして「保険の枠内だけで完結する」という前提を持たないことです。
制度上は可能でも、生活として続かない支援は長く持ちません。ここを見誤ると、どこかで必ず無理が出ます。

当院として大切にしている姿勢

当院は在宅医療の現場で、多職種と連携しながら診療を続けてきました。医療単独ではなく、生活を前提に支えることを常に意識しています。

制度の中だけでは整理しきれない場面に直面することもありました。だからこそ、制度の説明だけで終わらず、「現実に続けられる形は何か」を一緒に考えることを大切にしています。

今後は、制度だけでは守り切れないケースが出てくる可能性があります。そのときに必要なのは、理想論ではなく、現実的な整理だと感じています。

今回の改定は、支え方の時代が一段進んだことを示しているように思います。制度を前提にするだけでなく、その枠の内外を含めてどう設計するか。

制度の枠内外を含めた現実的な設計が必要な時代に入ってきています。

現場で、その整理を一緒に考えていければと思っています。

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