医療費の無駄は誰のせい?現場の医師が感じている“ちょっとした違和感”


今回のテーマは医療費の無駄!です。無駄、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄、むだぁぁぁぁ~!(イラストとオープリニングがマッチしていなーい)

その検査、本当に必要ですか?

これ結構よく聞かれるんですよね。「先生、この薬やめれませんか?」「先生、この検査って本当に必要なんですか?」って。で、率直に言うと、迷うことはあります。もちろん、絶対に必要な検査というのはあります。緊急性が高いとか、それをやらないと命に関わるとか、そういうケースは判断に迷いは少ないです。心筋梗塞を疑ったときの心電図とかですね。ただ一方で、「今やらなくてもいい」「やっても治療が変わらない可能性が高い」という場面も現実には多いんですね。

ここがポイント~!多くの方は「やった方が安心」と感じる。一方で医療側は「それが本当に意味のある介入か」を考える。この“安心のための医療”と“意味のある医療”の差が、結果として医療費の無駄という形で表に出てきます。ただ、これはどちらが間違っているという話ではなくて、そもそも医療の目的の捉え方が違うという構造の問題なんですね。

気づかないうちに増えている“医療の使い方”

医療費の無駄というと、過剰な高額治療や終末期医療の話をイメージされることが多いですが、実際にはもっと日常的な行動の積み重ねです。「とりあえず検査」「とりあえず薬」「とりあえず受診」。この“とりあえず”が重なることで、価値の低い医療が増えていきます。

例えば、会社から求められて受ける感染症の検査。流行を防ぎたいという意図は理解できますが、症状が軽い段階やタイミングが早すぎる場合、検査の感度や特異度の問題で正確な判断ができないこともあります。つまり、「やっているけれど、コントロールにはあまり寄与していない」という状態です。ゼロではないが、価値は低い。こういった医療は現場では頻繁に見られます。

正直、迷うことはあります

現場の感覚としては、「やるかやらないか」よりも「どのタイミングでやるか」「どこまでやるか」で迷うことが多いです。例えば、緊急性は低いが可能性は否定できないケース。検査しても治療方針が変わらないかもしれないが、患者さんの不安は強いケース。こういう場面では、医学的な合理性と患者さんの納得感のバランスを取る必要があります。

特に難しいのは“無価値ではないが低価値な医療”です。無価値なもの、例えば明らかに不要な検査は説明もしやすいし断りやすい。しかし、低価値な医療は「やる理由もある」ため、完全に否定することが難しい。結果として、コミュニケーションの質と量に依存する領域になります。ここで説明を省くと不信感につながり、説明を重ねると時間的コストが増える。このジレンマは、現場では常にあります。

現場では、そんなに単純に決めていません

あともう一つ大きいのが、医療って“場所”で全然違うんですよ。

救急外来だったら、見逃しが許されないので、CT含めてしっかり検査することが多いです。
一方で、在宅医療とか慢性期の現場だと、むしろ検査をあまりしないこともある。

同じ「医療」でも、セッティングが違うと判断基準が変わるんですよね。

なので、「あの先生は検査しすぎ」とか「少なすぎ」とか、単純に比較できるものではないんです。正直、医師同士で見ないと分からない部分もありますし、看護師さんでも判断が難しいケースは多いと思います。

私たちは“結果”で医療を評価してしまう

例えば、検査して何も異常がなかったとしますよね。

すると、「あれ、これ無駄だったんじゃない?」って思う。これはすごく自然な感覚だと思います。ただ、医療の中では、検査って“何かを見つけるため”だけじゃなくて、“何もないことを確認するため”にもやるんですよね。

いわゆる除外診断ってやつです。

なので、やる前は必要だった。でも結果として何もなかった。この時に「無駄だった」と評価するのは、ちょっと結果論に近いんですよね。

やってみたけど、意味が薄かった医療/やらなかった方がよかった医療

実例として分かりやすいのは、感染症検査や腫瘍マーカーです。感染症検査はタイミングによっては偽陰性も多く、早すぎる検査は意味が薄いことがあります。また腫瘍マーカーは、がん検診としての精度が十分ではないため、軽度の異常が不必要な不安を生み、その後の過剰検査につながるケースがあります。結果的に「何もなかった」という結論に至るのですが、その過程で費用と心理的負担が増えるわけです。

さらに言うと、医療はやりすぎることで害になることもあります。軽症での入院がその典型で、入院関連障害といって身体機能や認知機能が低下することがあります。つまり、医療は「やればやるほど良い」という単純なものではなく、介入そのものがリスクを持つという前提で考える必要があります。

あとは、失神したときの頭のCT。そして、頭部を打撲したときの頭部CT。これもルーチンで撮られることがありますけど、実は「カナダCTルール」みたいな基準があって、そこに当てはまらない場合は不要なことも多いです。特に小児のCTは、被曝の問題があるので、できるだけ避けたい。

もちろん、どうしても心配で希望される場合は撮ることもありますけど、基本的にはおすすめしないですね。

薬についても同じです。効くかどうかだけじゃなくて、副作用のリスク、生活への影響、そういったものを含めて判断しています。

医療には「価値の濃淡」がある

次のポイント~!ここで重要なのは、医療を「必要か無駄か」という二元論で捉えないことです。実際には、医療には明確なグラデーションがあります。明らかに必要な医療、やった方がよい医療、価値が限定的な医療、ほぼ無価値な医療。この中でどこに位置するかは、検査や治療が「意思決定にどれだけ影響するか」で判断されます。

例えば、その検査によって治療方針が変わるのであれば価値は高い。一方で、結果がどうであっても治療が変わらないのであれば価値は低い。また緊急性も重要で、今すぐ判断が必要なのか、経過観察が可能なのかによっても価値は変わります。こうした視点を持つだけでも、医療の選び方はかなり変わってきます。

検査や薬を減らすと、むしろ良くなることもある

薬についても同様です。一般的には「薬を減らすと悪化するのではないか」という不安がありますが、実際には不要な薬を減らすことで状態が安定するケースも少なくありません。いわゆるポリファーマシーの問題で、薬が増えることで副作用や相互作用が増え、結果的に体調を崩すことがあります。

経験的には、薬を減らした際に症状が再燃するのは5〜10%程度です。ただし、これは元に戻せば対応可能です。一方で、不要な薬を継続することによるコストや副作用は長期的に積み上がります。つまり、「一度やめてみる」という選択は合理的な戦略の一つになります。ただし、これは必ず医師と相談しながら行うべきで、自己判断での中止は推奨しません。

自己判断で中止して、「体調悪くなりました~~」って言ったら通常の医療関係者はゲンコツしますね。はー、「なんばしよっとか!ゲンコツ!」

医療費の無駄は“構造の問題”

さー、医療費の無駄は誰の責任か、という議論がありますが、これは単純ではありません。患者側には安心を求める心理があり、医療側にはクレームや見逃しを避けるための行動があります。さらに保険の制度としても、段階的に検査を進める仕組みがあり、結果的に受診回数や検査回数が増える構造になっています。今日で検査が終わりませんかって何度言われたことか…(涙)

医療費の高騰について、さらに言うとですね、少子高齢化という背景も無視できません。医療費の増加は、個々の医療行為だけでなく社会構造そのものに起因しています。この問題を現場の医療者だけで解決することは現実的ではなく、本来は制度設計や社会全体の議論が必要な領域です。

野口悠紀雄: 一橋大学名誉教授の資料を見てみると、社会保障負担費の増加の大きな理由は少子化と見て取れます。

負担は、全体で1.130~1.139倍になる。そして、負担者が0.795倍になる。

だからこそ、医療関係者は効率的に医療費を使うべきではあります。しかし、原因はお前だろ!と言われると違うわ!ってなりますよね。そもそもサービスは患者さんが受けますし。 

例えばこんなケースです

軽い風邪で受診し、会社の指示で検査を受けるケース。腫瘍マーカーの軽度異常から不安が拡大し、検査を繰り返すケース。複数の医療機関を受診し、薬が増え続けるケース。どれも珍しい話ではありませんし、特定の誰かが悪いわけでもありません。ただ、こうした積み重ねが結果的に医療費の無駄や、場合によっては健康への悪影響につながります。

無駄を減らすためにできること

ではどうすればよいか。大きなことを変える必要はありません。「この検査で何が分かるのか」「それによって何が変わるのか」を一度確認すること。複数の医療機関を受診する場合も、その目的を明確にすること。薬については、やめるかどうかを含めて医師と相談すること。

そして基本的な話ですが、睡眠・食事・運動。この3つは費用対効果が高いことが多いです。医療に頼らない時間を増やすことが、結果的に医療の質を高めることにもつながります。

私たちが大切にしていること

当院では、「やる医療」ではなく「選ぶ医療」を重視しています。すべてを実施するのではなく、その人にとって意味があるかどうかを一つ一つ確認する。その上で、ご本人が納得できる選択を支援することを大切にしています。

言いにくいけど、あえて言えば価値が低いと判断した医療については、お断りすることもあります。全ての方に好かれるとは考えていませんが、その代わりに説明は徹底します。なぜやらないのか、どのような選択肢があるのかを共有することが、信頼につながると考えています。

医療は“使い方”で変わります

医療は目的ではなく手段です。スタンド(ジョジョ的に)も手段です。使い方によって、プラスにもマイナスにもなります。少し考え方を変えるだけで、無駄は減らせますし、結果としてより良い医療に近づきます。


(引用:漫画 ジョジョの奇妙な冒険)

無駄無駄無駄かどうか迷ったときはですね。一人で判断せずに、ぜひ一度ご相談ください。

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