「走るのが好きじゃない医者」が、それでも走る理由
今日は子どもの習い事で送迎が多い日曜日でした。合間に訪問診療中の患者さんの病態報告が来ます。
さて、今回は走ることについてがテーマです。
「走るのが好きじゃない」のに、なぜ走るのか
村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を読みました。(Amazonリンク)
この本を読んでいて、最初に「これは分かるな」と思ったところがあります。走る前、ランニングシューズを履くときの、あの感じです。「今日は家でのんびりしておきたいな」「わざわざきつい思いをしたくないな」正直、そう思うことがあります。
走るのが好きな人なら、そんなことを思わないのかな、と以前は少し思っていました。でも、この本を読んでいると、走ることが好きでも、苦しいとか、面倒だとか、そういう感覚はあるんだなと思いました。
それが、ちょっと面白かった。
一方で、僕は村上さんのようにマラソンを走るところまではいきません。僕が走る目的は、かなりはっきりしています。健康づくりです。だから、だいたい6km時々10kmとか15kmくらいまで。それ以上、速く走ろうとか、長く走ろうとか、あまり考えていません。
僕のランニングは、かなり「健康に最適化したランニング」ですね。
僕にとって、走ることは「健康づくり」と「本を聴く時間」
走ることには、僕の中では二つの意味があります。
一つは、もちろん健康づくりです。有酸素運動をする。体重をコントロールする。体力を維持する。そういう目的です。
もう一つが、本を聴く時間です。僕はAudibleを使っているので、走りながら本を聴いています。これが意外といいんですよね。小説を聴いていて、ちょうど面白いところに入ると、「もう一周走ろうかな」と思うことさえあります。走ること自体はそれほど好きじゃないのに、本を聴くためならもう少し走れる(笑)考えてみると、僕は結構な活字中毒なのかもしれません。
最近は、NotebookLMを使って医学雑誌などを音声化して、それを聴きながら走ることもあります。そうすると、「これは診療にも使えるんじゃないか」「この病態について、患者さんに説明するときに使えそうだな」なんて考えながら走っています。面白いアイデアが浮かんだときは、一度止まってメモを取ります。休憩代わりですね。そして、また走る。
そう考えると、僕にとってランニングは、単なる運動ではないのかもしれません。
「楽しく走らなければいけない」という考えがなくなった
この本を読む前と後で、一つ変わったことがあります。「走るなら楽しくなければいけない」という気持ちが、少しなくなりました。もちろん、楽しく走れればそれに越したことはありません。
でも、苦しいからやる。きついけれど、それを経験する。そういう考え方もあるんだな、と。いわゆる「ストレッチゾーン」に入っていくような感覚でしょうか。これまで僕は、走ることについて、「健康のために必要だからやる」くらいに考えていました。でも、苦痛そのものを完全に避けなくてもいい。苦しいことを経験することにも、何か意味があるのかもしれない。そんな見方が少し加わりました。
だからといって、僕が急にマラソンを目指すわけではありません。全くそこは変わりません。やっぱり、できれば必要以上に苦しいことはしたくない(笑)
「重要だけど、急がないこと」は先にやったほうがいい
走ることを続けていて、もう一つ気づいたことがあります。「重要だけど、急がないこと」は、先にやっておいたほうがいい。『7つの習慣』でいう、第2領域ですね。健康づくりは、典型的な第2領域だと思います。今日やらなくても、明日すぐ困るわけではない。仕事のように締め切りがあるわけでもない。だからこそ、後回しになりやすい。
僕自身、以前は、「今日は忙しいから、また時間があるときに走ろう」と思っていました。でも、「時間があるとき」は、なかなか来ません。仕事や他の用事という、もっと急いでいるものに押されてしまうからです。
ところが、今年の夏は本当に暑かった。夕方になっても暑い。朝5時、6時でも暑い。そこで、「もう早朝に走るしかない」となりました。すると、逆に走れるようになった。「いつでも走れる」と思っていると、やらない。「この時間しかない」と決めると、やる。
これはランニングだけの話ではないなと思いました。健康でも、勉強でも、家族との時間でも。重要だけれど急がないものほど、先に予定に入れてしまう。そのほうが合理的なんだと思います。
健康のためなら、別に走らなくてもいい
ここは、医師として患者さんに運動を勧めるときにも、少し意識しているところです。僕自身は走っていますが、患者さんにも「走りましょう」と言いたいわけではありません。運動にはいろいろな方法があります。歩く。自転車に乗る。水泳をする。筋力トレーニングをする。自分に合うものを選べばいい。こないだの論文は階段を登り降りするだけでも良いとのことでした。(Evaluating the Impact of Stair Climbing on Cardiovascular Risk Reduction: A Systematic Review and Meta-analysis)
僕が走っているからといって、走ることを押し付ける必要はありません。そもそも、僕自身も走ることがそんなに好きなわけではありませんからね。走ることには、時間を自分で決められる、人を集めなくてもできる、特別な道具や場所がなくても始めやすい、といった良さがあります。
一方で、退屈に感じる人もいるでしょう。だったら、別の運動でいい。大切なのは、「走ること」ではなく、身体を動かすことだと思います。もちろん、運動によって得られる恩恵を考えると、何らかの形で身体を動かすことは、多くの人にとって検討する価値があります。
ただ、体調が悪いときまで無理をして運動する必要はありません。身体的な体調不良なら、まず休む。一方で、気分が落ち込んでいるときには、散歩など、あえて身体を動かしたほうがよい場合もあります(認知行動療法の考え方にも準じますね)。同じ「体調が悪い」でも、中身は違います。そこは一律に考えないほうがいいと思っています。
走ることより、「続けること」のほうが大切かもしれない
ランニングについて、今の僕が一番大事だと思っているのは、速さでも距離でもありません。続けることです。5分でもいい。10分でもいい。できる範囲で続ける。
もちろん、健康上の目的によって必要な運動量は変わります。でも、最初から完璧な運動習慣を作ろうとすると、なかなか続きません。僕自身も、走れない日があります。暑すぎる日もある。寒い日もある。体調が悪ければ休みます。それでも、また走る。その繰り返しです。
そして、もし将来、走れなくなったとしても、たぶん別の方法を探すと思います。ゆっくり歩けばいい。自転車でもいい。泳いでもいい。走れないこと自体を問題にするのではなく、そのときにできることを探す。たぶん、それが僕にとっての運動との付き合い方なんだと思います。
朝の暗い道で、オリオン座を見つけた
最近、早朝に走っていて、ちょっとした発見がありました。日の出が遅くなって、まだ暗い時間に走ることがあります。そのとき、オリオン座が見えました。これまでオリオン座というと、夜に見るものだと思っていた。飲みに行った帰り道なんかに見ることはあっても、朝に見ることはありませんでした。でも、朝にもいるんですよね。当たり前のことなんですが、今まで気づいていなかった。清々しいオリオン座でした。
それから、別の日には、走っている途中でパトカーが近くに止まりました。「職務質問かな!?」と少し緊張して、「おはようございます」と声をかけたら、事故防止のための反射材のついたタスキを渡してくれました。なんだか、応援してもらっているようで、ちょっと嬉しかったですね。
走ることそのものが、人生を大きく変えるとは思っていません。でも、走らなかったら見なかったものや、気づかなかったことは、たぶんあります。
走るのが好きじゃなくても、走っていいし、歩いてもいいし
『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで、一番印象に残ったのは、走ることには「好き」と「苦しい」が同時にあっていいんだ、ということでした。僕自身も、走るのがものすごく好きなわけではありません。できれば家でのんびりしていたい日もあります。それでも走る。健康のために。本を聴くために。体力を維持するために。そして、重要だけれど急がないことを、先に片づけておくために。
たぶん、何かを続けるというのは、「それが好きだから」という理由だけではないんですよね。好きじゃなくても、自分にとって意味があるから続ける。そんな付き合い方もあっていい。もし走れなくなったら、そのときは歩けばいい。歩けなければ、また別の方法を探せばいい。村上春樹さんは一度も歩かなかった男らしいですが、私は全然歩きます(笑)そうやって、自分の人生の中に無理なく身体を動かす時間を残していく。今のところ、僕はそんなふうに走っています。
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