「不正請求」の陰にある構造――制度と現場、そして忍び寄るPE的医療の波


最近報道されたホスピスホームの不正請求――一人の訪問を「二人分」と偽る行為は、言うまでもなく看過できない行為です。しかし、「悪いのはどこか」と問う時、私たちは一歩引いて構造を見直す必要があります。医療機関は、制度に基づいてサービスを提供しており、基本的には政策の“代行者”です。では、なぜこのような不正が起きてしまうのか。その背景には、制度的な歪みと、利用者のニーズの板挟みにある現場の苦悩、そして近年、静かに進行している医療の「ビジネス化」の構造があります。

制度に縛られる医療現場――本当に「選べる自由」はあるのか

緩和ケア病棟への入院要件が厳格化されたり、難病患者の入院環境が看護配置の基準に阻まれたりするなど、制度が求める“効率化”と、実際の医療ニーズには深刻な乖離があります。現場では、患者さんが望む選択肢が「制度上、できない」となることも少なくありません。一方で、自宅での看取りが推奨される中で、介護力のない家庭も多く、「それでも家で看取れ」となると、もはや現場は詰んでしまいます。

このような環境が、「ホスピスホーム」という新しい選択肢を生み出したと考えています。患者と家族のニーズに応える仕組みを制度が用意できなかったがために、民間の創意で補う形で現れたのでしょう。

緩和ケア病棟と診療報酬改定の現実

緩和ケア病棟では患者さんが最期の時間を穏やかに過ごせるよう、入院期間に制限は設けられていませんでした。しかし、近年の診療報酬の改定により、「おおむね1〜2ヶ月程度での退院を目指す」ことが基本方針とされるようになりました。

この方針転換により、医療現場では新たな対応が求められるようになっています。たとえば、「なるべく入院期間を短くしないと転院が必要」と考えるあまり、自宅で限界まで過ごしたうえで緊急入院に至るケースや、入院後に症状が安定しすぎると「転院」を検討せざるを得なくなるような事例も増えつつあります。けれども、だからといって「長期にわたる入院を希望する患者さんやご家族の思い」がなくなったわけではありません。実際には、これまでと変わらず「安心できる環境で、できるだけ穏やかな時間を過ごしたい」という切実な願いが多く聞かれます。

一方で、こうした診療報酬の方針転換や背景にある社会情勢について、患者さんやご家族が詳しく知る機会はほとんどありません。制度の変更は複雑で、日常の暮らしの中では触れることのない情報だからです。そのため、患者さんやご家族から見ると「なぜこんなに早く退院を勧められるのか」「どうして長く入院できないのか」といった疑問が、丁寧に解消されないまま残ってしまうことがあります。

私たち医療機関は、国の政策や診療報酬の枠組みに基づいて医療サービスを提供しており、その内容に沿って運営の方法や入退院の判断も見直していかざるを得ません。こうした背景があることを少しでもご理解いただければ、現場での葛藤や難しさにも、少し別の角度から目を向けていただけるかもしれません。

不正請求は「絶対にだめ」――でも、その裏に何があるのか

「不正は不正だ」。これは譲れません。しかし、その背景には、診療報酬制度の複雑化や、現場の逼迫もあります。患者の満足を大切に思う医療者ほど、制度に縛られながら、何とかしてその隙間を埋めようとします。その中で、意図的でない境界の越え方が生まれることもあるのです。

政治的には「国民の(見た目の)負担を上げない」という理屈は筋が通っています。しかし、それを制度の維持として実行しようとすれば、事務手続きは煩雑になり、現場は「診療よりも請求の整合性に時間を割く」という本末転倒な状況に陥ります。気づけば患者に向き合う時間は減り、制度に向き合う時間ばかりが増える。これでは、誰のための医療かわかりません。

PE(プライベート・エクイティ)的な医療とはなにか

こうした「制度に対する綻び」を突いて、すでにアメリカでは別の勢力が拡大してきました。プライベート・エクイティ(PE)――それは、医療の質を高めるためではなく、投資リターンを最大化するために医療機関を買収・再編する民間資本の動きです。

UnruhとRice(2025)によれば、PE企業はこの20年でアメリカの医療機関、特に病院やナーシングホーム、診療所などに幅広く進出し、買収→労務コストの削減→アップコーディング→出口戦略(売却や統合)というテンプレートを繰り返しています。このビジネスモデルは「財務の手術」とも揶揄されており、実際に医療のアウトカムが改善した例は乏しく、逆に質の低下や患者満足度の悪化が報告されています。

日本でも始まっている――訪問診療や在宅医療の“兆し”

「PEなんてアメリカの話だ」と思いたいところですが、すでに日本にもその兆しは見られます。訪問看護ステーションの多くはすでに株式会社・有限会社で運営されており、在宅医療の一部は、収益性の高いサービスへと経営資源が集中する構造になりつつあります。介護施設も株式会社・有限会社が多く、利益が出なくなった場合は速やかに撤退しているところもあります。

個々の経営努力自体は否定されるべきではありませんが、もし制度が「質より量」「書類上の整合性重視」へと流れてしまえば、現場は質を守る力を失っていきます。そして最終的には、「不正」か「撤退」か、二者択一を迫られるような選択に追い込まれるのです。(今回は収益性重視なビジネスモデル(PEに準じた動き)だとは思いますが…)

今、問うべきは根本的な「制度」そのもの

私たち医療機関は、常に制度の中で動いています。たとえ誠実な思いで患者と向き合っていても、制度の設計がミスマッチであれば、それは報われません。だからこそ、根本的な医療政策設計が今、必要とされていると思います。

不正を擁護することはありません。しかし、「なぜそうせざるを得なかったのか」という視点を持たなければ、制度の本質的なエラーは見逃され続けます。PE的な効率主義が日本に本格的に根づく前に、私たちはこの問いを共有しなければなりません。

参考文献

Unruh L, Rice T. Private equity expansion and impacts in United States healthcare. Health Policy. 2025;155:105266.

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