バージョンアップ・マザー・テレサ -ケースカンファの学び-

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。」

「言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。」

それは、かの有名なマザー・テレサの言葉ですね。

「この方らしい最後だったと思います」

そう思えたとき、医療者としての迷いが、少しだけ癒されます。

今回のケースカンファはある終末期の患者さんのケースでした。ご本人は意思表示が難しく、認知機能にも揺らぎがあり、判断能力の低下も見られました。

ご家族も遠方におり、本人とは長らく会えず、明確な希望を示すことも少なかったんです。医療として何をすべきか、ご家族の希望をどこまで汲むべきか。皆で悩んだケースでした。

最終的に、ご本人の基礎疾患や生活パターン、好きだったこと・嫌いだったことを丁寧に見直しました。
たとえば、ご飯が大好きだったこと。でも、喀痰吸引はすごく嫌がる素振りがあったこと。
それを踏まえ、本人が「生きたい」かどうかではなく、「どう生きたいか」という問いを行動から推定していくような作業でした。

胃ろうの選択も話題に上がりました。点滴で経過を見る案や、一時的な入院も検討されました。けれど、本人にとっての「幸せ」とは何かを問い直したとき、ただ生を長らえるより、「食べたいけど食べられない」現実にどう寄り添うかが大切です。

こんなときは、看護師やケアマネジャー、日々訪れていたヘルパーさんの声が、とても参考になります。日常のちょっとした言動や、リハビリへの反応、好きな音楽、表情の変化。そうした「行動の言語化されていない情報」が、とても大事だと学んだケースでした。

まさに、マザー・テレサの応用編。

(引用:漫画「葬送のフリーレン」)

「行動を言語化しなさい、それは思考を示すから」

(院長:ファザー・ヒトシ)

「やりすぎ」も「やらなさすぎ」も、どちらにもリスクがあります。
でもそれを、医療側が勝手に決めるものではないと私は思っています。メリット・デメリットを丁寧に整理し、ご本人の推定意思とご家族の納得をすり合わせながら、一緒に悩み続けること。それが、プロの仕事なんじゃないかと。

そしてもう一つ、あらためて感じたことがあります。
穏やかな最期というのは、実はその直前だけでつくられるものではないということ。
もっと前から、病気と向き合うプロセスの中で、支える人たちとの信頼関係をつくっておくこと。その土台があったからこそ、今回のように納得感ある選択ができたのだと考えています。

私自身、このケースで特に難しかったのは、ご本人と会っていないご家族が意思決定の中心になったことです。でも、だからこそ、週末期に限らず「普段から」こまめに情報共有し、関係性をつくっておくことの大切さを痛感しました。


「本人がどうしたいか」は、わからないときもあります。けれど、「本人なら、どう考えたか」をチームで探っていく。その中で、ご家族も、私たち医療者も、一緒に悩んで、一緒に納得していく。

食べることが難しくなったとき。それは、単なる治療選択ではなく、「その人らしさ」と「人生の質」が真正面から問われる場面でもあります。

皆さんなら、どう考えますか?

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